犬も歩けば棒にあたる
「自由に生きる」っていうのはけっこう面倒臭い。自由に生きちゃってるんだから、全部、自分で引き受けるしかないんだけれど、それにしても「世間」ってホントウに冷たい。家族以外の、何処の馬の骨だかわから者には、相手にとって、よほどのメリットがないと、手なんて貸してくれない。
そこへ行くと、ウィーク・ディは毎日「遅刻」に縛られる。上司や同僚に囲まれて気を使いっぱなしだとか、ってことがあっても、毎月、決まってお金が入るとか、その状態を長期に確保できるとか。組織や団体に「勤めている」という就業スタイルにはそういうメリットもあるし、試験に受かれば、ほとんどお金をかけずにオフィスや、何より「看板」という信用が手に入る。自分の存在感も消しとんでしまうかもしれないけれど、たとえば「三井の鈴木」で仕事できる。フリーランスなら当分「何処の馬の骨」だ。
だから、勤め人を選ぶのはスマートでもあるし、生まれた家に資産や代々受け継がれた技能があったりでもしなければ、その選択はひどく当然のことだ。それを手に入れるために、人々はそれなりに気苦労もしている。
でも
その働き方が可能になるのは経済や社会体制が安定している間だけかな。そして、その「安定期」。一生を送るうちには終わってしまう。
だからこそ、かつてのドイツにはヒトラー(ナチス)が台頭し、アメリカにはトランプ大統領が誕生した。もちろん、理由は異なるが、庶民が「勤め人としての仕事」にありつけなくなったことが、彼らを押し上げる原動力になっている。
(ナチスは敗戦による多額な賠償責任がドイツ国内に強烈なインフレと就業難から、トランプは外国製品に押され、生産海外流出による就業難を呼び込んだ)
この国も、労働市場は国際化、そして、AIとロボット技術の発展による「無人化」。株高も国内に再投資されることは少なく資本は海外に流出。国内への設備投資はまだ凍っている。不動産も好調とはいえ、オーナーは外国人、僕らには給料が下がっても、家賃は高止まり。いいことがないばかりか、近未来に暗雲が垂れて込めている状況だ。
近く、また「勤め人としての仕事」にありつけなくなる状況は、さらに鮮明になるだろう。
権力闘争はあっても、リアルに「庶民のため」を目指す政治家はほとんどおらず、株主や企業はさらなる利益を目指して合理化を進めます。もちろん、お役所も庶民の味方であろうはずがない。
こういう時代はね。就職口を探すより、「自営」を目指した方がいい…
というか。
生まれた家に資産や代々受け継がれた技能がなくても、そこを目指すしかないから。うちのひいばあちゃんだって、秩父の山奥から、ほとんど無一文で、あの時代に女一人でヨコハマに出て来て身代を立ち上げた人。彼女は読み書き/できなかった。
「無難」という選択肢が消え失せた時代に、一億総中流の「幻想」に期待を膨らませないことだ。
ここでリスクが取れれば、可能性がある。
まさに「犬も歩けば棒に当たる」だ。
まず、歩き出さなければ。