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世相

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時計の針が進む、そのスピード。20年前にはIPhineはなかった。つまり、この20年はただの20年じゃなかったんだ。どの世代だって、今に合わせて、自分の認識をアップデイトできてい…
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#考察コラム

フツウ帝国/ペジテや風の谷

一億総中流だった「労働者階級」の話し。 (資産10兆円以上の資産家たちはこれに含まれない。でも、この国にの静岡市一つ分くらいは、そういう資産家たちはいる) で、労働者たちの話し。 まず2つに分かれる。8:2ほどの割合。 80%はフツウ帝国に連なる人々。仕事は「憶えて慣れる」、賃金を取得するのが主目的。全体を俯瞰しながらの業務より、できるだけ狭い範囲に閉じた「分担」で済ませられることを好む。身体一つで「自らが労働する」ことで収入を得る。就業にしろ、買い物にしろ、与えられ

「会社」のみんな

そのうち人間の仕事はプロ野球の選手みたいな「契約」「自由契約」な感じになっていくんだろう。 だから面接試験はなくなる。 ビズリーチみたいなものもあれば、何にもしなくても向こうから呼びにくる感じなものもあるんだろうけれど。で、スカウトされたら、即戦力。「新人」的扱いは希薄になる。 会社が「労働力だけ」を買ってくれる時代も終わり、匿名性の高い組織ワークの時代も終わる。 そういう感じの仕事はAIなロボットが行う。彼らは、たまにメンテナンスしてやれば、24時間、365日、電気代

闇市からのやり直し

あの頃。 大正バブルによって生じていた余剰人口を、国費を投じることでなんとかしようとした…それが当時は軍需産業。海軍工廠や三菱ドッグで戦艦を建造するだけじゃなく、兵隊さんの弁当箱を作るんだって「軍需産業」…というわけで、国家総動員法の前から、すでに一億が「軍需で喰う」状態にあり、外国から搾取してきた分を国内生産に上乗せして享受するという状態にあった、それが当時のこの国。 (余剰国民を「移民」として海外に追いやるという措置も取られていた) しかし、軍需に頼った経済振興策は

リスキリング

49歳のとき、脳出血に倒れた。仕事をセーヴして時間ができた。仕事上の「問題」が解けなくなってきていたという自覚もあった。で。50歳を過ぎて大学院に進学した。 さまざまにアハ体験となる知識を授けてもらった。仕事の質が劇的に変わったと思う。 その一方で愕然とすることもあった。50歳になるまで本の読み方がまるでわかっていなかったということに気付かされたことだ。 それまでの僕は「本」に書いてある情報にニュートラルに接するのではなく、我田引水に解釈してしまっていた。著者がいう「美し

東京へ 東京へ

東京から情報を発信している人。その情報の創り手も、たぶん、東京生まれ東京育ちの人の方がマイノリティ。お父さんお母さんからして東京生まれ東京育ちともなれば数えるほどしかおられないでしょう。でも、彼らが「東京」というイメージをつくている…なんだか面妖です。 1960年代末の若者文化隆盛期から、吉祥寺や高円寺あるいは国分寺、下北沢などが東京的なカウンター・カルチャー、サブ・カルチャー発信源みたいになっていきます。でも、それだって地方から上京してきた大学生たちが主役で「江戸以来」の