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ライフデザイン

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これからは、ますます「見本」が不明確になっていく。だから、自ら「生きてい」くをデザインする。
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日本型組織ワーク

アートも、専門家だけで話が済むなら、これほどに拗れた状況に置かれることはなかったろう。でも実際には「資金の執行」を決断する強い立場で「フツウの人」が絡んでくる。彼らだって、その立場を「志願」したわけではなく「人事異動」で、その席を占める。だから事前の知識も経験もなしだ。 しかも、そこにいるのは長くて数年だ。また縁もゆかりもないところに異動していく。 これはお役所でも民間の企業でもそうだ。 これは、第一回目の「あいちトリエンナーレ」を、当時の担当者が語った一冊の冒頭にあっ

「農」は嗜み/私小説のような公共政策

その是非はともかく 「行政」つまり役所が心許ない。 自治体が行う、ごみ収集やバスなどの公共交通機関の運営など、直接的な「行政サービス」だけでなく、政府は、この国の「社会」のあり方、農林水産業、工業などの「産業」のあり方をコントロールしている。 「教育」だってそうだ。 その役所がダッチロール状態に入って久しい。 実は政治家っていうのは「大いなる素人」で、立法の内容だって、お役人やお役人のOBが担っている。たまに号令をかける政治家さんもいるけれど、法律をつくれるほどの知識を

何も変えないことがリスク

あのとき 頼りにしていた連合艦隊が、市井の国民が預かり知らぬところで、すでに壊滅していた。オフクロ方のばあちゃんは、空襲が激しくなってから「連合艦隊は何をしているんだろう」と思ったそうだ。 あまり褒められたことではないが、こういう人も少なくなたっかろう。 高度成長期以降、この国で頼りにされてきたのが、自動産業産業であり、家電系のメーカーだ。でも、「家電系」では、すでにシャープがこの国の企業ではなく、東芝は風前の灯だ。V字回復したSONYも、経営陣も出資者についても「この

まちづくりを仕事にする

1961年の1月生まれ。だから僕は62歳だ。 ずっとフリーランスで「まち」をテーマに働いてきた。 企業・団体に「就職」したことはない。 でも仕事をしはじめてから、ずっと「まちづくり屋」という専門職で食ってきたわけではない。そのあたりになると「無償」だった期間も短くはない。 最初から、役人や活動家(今で言えばNPO法人のリーダーとか)とつきあいながら、「まちづくり」には関わってきた。彼らがリスペクトし、彼らの教科書になっていた大学教授は「まちづくり」という平仮名表記の「まち

ぢっと手を見る

団塊の世代とか、僕らの世代とか。工業生産時代に生まれた世代は、未だに「生徒になる」で安心する人が、結構いる。それで賢くなれるような気がしてね。 投資セミナーに通ってるとか、資格取得を目指して夜間の専門学校に通うとか、オンラインな感じとか、そういう類い。 「学校」に信頼を寄せてる。 でも、工業生産時代ならまだしも、知価(情報)生産時代になると、誰かが整理してくれた情報を「憶える」ではダメなわけで、メモを取る感じで教室に通っても「次の時代の人材」になれるかどうかは微妙…

「選択肢」が与えられるまで待つ

よほどの変わり者でない限り、僕らは「選択肢」が与えられるまで待っている。よほど面倒なのか、自分で「選択肢」を創りだそうとする者は滅多に現れない。 しかも選択肢を選んだ後は、その選択肢をひたすら消費する。「消費者」といわれる所以だか、選択を投資として次に活かすということも滅多にしない。そして、また次の「選択肢」を要求する。その選択肢を得るために金を稼ぐ。 僕が大学生の頃だったか、ハーゲンダッツを買うのに行列ができて話題になった。いっとき「ハーゲンダッツ」はそういう「選択肢」

やっぱり、お金なのかな

「私鋳銭」 官銭を模造して民間で鋳造された銭貨。 わが国では中世から近世初頭にかけて、しばしば官銭が不足し、また、政府のガバナンスも弱っていたため、官銭のものと混入して通用した。 織田信長の旗印に掲げられた「永楽通報」も中国の通貨であり、官銭ではないが、日明貿易や倭寇などから国内に大量に持ち込まれ、政府も崩壊の状態にあって、しかるべき官銭を発行できなかったことから、江戸時代初期まで流通していた。 さて 僕らが「ポイント」と呼ぶもの。買い物するたびに溜まっていくやつ。その

等身大

経済的には貧乏だが、生活文化としては、とても魅力的な…そういう感じ。どこか孤独でもあり逆に自由な感じもする。人好きだが群れない… 永井荷風先生の晩年みたいな感じもしますけれど、あんな文豪じゃなくてね。もっと無名な感じだが、ひと迷惑な偏屈さからは遠いような でも、うらやましくなるような生活文化を湛えた… 僕はそういう感じを目指したい。 カジノ的なリゾートにも、海外を飛び回るビジネスな暮らしにも興味はないし、故にTOEFULにもバカロレアにも無縁でいいやと思っている。 ただ

歩き始めればね。

最近、人の人生って、こちらが「何になりたい」と希望するより、そういうことは運否天賦に任せるべきものなのかなと思い始めて久しい。きっかけはこの本だった。 この本には、鈴木克明さん、有紀さん(この本の共著者)お二人の人生がシンクロする前から描き始められている。別々にご本人の回顧録という感じで。お二方とも、もともとの人生はインドともカレーともほぼ無縁。でも、その人生がいつしかシンクロし、隣り合った榎と桜がくっついて一本の樹になってしまうように一つの像を結んでいく。 しかもタイトル

与えられた〝私〟

散歩しながら思った。 他人から見て、きれいに見えるかどうかということはどうでもよくて、ようは「自然(地球ともいう)」が、僕に与えた〝花〟を見つけ出して、その花を咲かせるかどうかなんだなーと。 何かに憧れて、あんな感じで咲きたいとその具体化に向かって努力しても、それは我が勝ち過ぎて、つまり、不自然に他ならず、そんなことより「自分に与えられた〝花〟」を見つけ出すこと。 キーワードは「居心地」かな。 憧れの人をコピーしようと思えば、誰かがつくったフィクションに巻き込まれてい

やっぱり、この世に生まれてくる者にとって人生は修行だな。

既存の選択肢

「リスキリング」という新しい「選択肢」が与えられる。もちろん、与えられた選択肢なんだから、自分で創造したものではない。原義に基づいたブラッシュ・アップなら、もうとっくにやる人はやってるだろう。僕も大学院に行ったのは50歳を過ぎてから10年以上前だ。でも、その頃すでに「社会人大学院」という言葉はあった。もう「歳を喰ってから大学院に進学する」は「選択肢」としてデザインされていた。大学院に進学する道は点線で描いてあったのだ。 「リスキリング」は、いわゆる「大衆化」。さらにマス・マ

教育の賜物

百花繚乱といっていいほど、本来は個性豊かなはずの「個人」を学校教育の過程で「粒ぞろい」な感じに剪定してしまう。そして、膨大な「フツウ」という人たちをつくり出す…そのことについて気持ち悪いとか間違っているとか思わず、むしろ当然だ、「みんな」で生産力を向上させるんだと思っているのが、富国強兵な明治の頃からの、集団生産な工業生産時代の、この国。 だから、その時代に教育を受けてきちゃった世代には、依然として自分が「フツウ」にデザインされちゃった後(の自分)だということが、明確に意識

その調査は1984年に

すでに、ユニクロや無印のレジからも人は消え、マックもスタバも無人化。会計ソフトが会計担当者の気遣いを無くしてくれたと思ったら、担当者が要らなくなって無人化というご時世。 そのうち、ネットでクルマを選んでメーカーさんに直接発注し、メーカーさんから直送…なんてスタイルがスタンダードになるのだろう。そうしたら地域ディーラーの気が利かない営業さんにイライラすることもなくなるが、地域ディラーという就業場所もなくなる。 レジ・スタッフの対応のまずさに拠るストレスから解放された途端に就業