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自分と無縁。今日の写真は、まぐろとヒラメのお造り定食。産地直送の新鮮なお魚でした。

無縁とは、自分とは縁もゆかりもない事です。厄介な事を無縁だと切り捨てていませんか?生きていく中で無縁など無いのです。見たり聞いたり触ったりしなくても心の縁は繋がっているのです。

差別や偏見の問題は自分には無縁の事だと思っている事です。当事者の気持ちを理解しようとはしないのが問題ですが、解決する為に嘘や虚言、噂や不誠実があってはならないのです。自分が理解できないことを嘘や虚言だと思うから平行線を辿ることになるのです。

嘘だと思う根拠を相手に伝えましょう。お互いに理解できないのならば理解できるまで話し合いましょう。本当に無縁であれば自分も知らない、他人も知らない事柄です。誰か自分と縁がある人が知ればそれは無縁なことでは無いのです。ましてや自分が知れば無縁ではないのです。

無縁だと言った時点で、縁があるのです。その縁がどの程度の縁であろうと無縁にはできないのです。縁を切りたいからと言ってもお互いに忘れるまで縁が切れる事はありません。

どちらかが覚えている間は縁があるのです。こちらが忘れても相手が覚えていれば縁は続くのです。縁を切りたければ忘れる事ですが、忘れる事のできない縁があるのです。その時は相手の幸せを祈るだけで何もできないのです。

何かをすると縁は強くなってお互いに忘れることなどできなくなるからです。何かをするのであれば自分を犠牲にして相手に何かをする事はやめましょう。自分の幸せが第一です。自分の幸せが相手の幸せになる方法があります。それは自分と相手の同一化です。

相手のことを自分の事のように考え、相手も私を自分の事のように考え、思い、感じるまで理解し合うのです。

自分の事もわからないのに他人のことなど理解できませんと思うのならその人の幸せを祈るだけで何もしなくて良いのです。何かをすると幸せを奪ってしまうからです。

何もしない人を起こしてはいけません。誰かのためにと動くとそれ以外の人の幸せを奪ってしまうからです。動くのであればどうしても動かなければならないことで動きましょう。

誰もが納得する行動とは、不安を与えない。不信感を与えない、誠実である行動です。

貧富の差、教育の差、生まれてきた環境の差など格差社会で平等を求めても、それを実現する事は不可能です。格差社会に幸せを奪われたと思っている人は、奪われたからと訴えるだけで奪われた幸せを取り返す事はできません。

幸せは奪われないように自分で守るしかないのです。何を幸せだと感じるのかを学ぶことが重要です。幸せを知らないのに幸せを感じる事はできません。生まれてすぐに幸せだと感じてもそれが幸せだと気づかないのです。

親から幸せを与えてもらえなければ幸せを知る事はありません。他人から幸せを与えてもらえなければ他人の幸せを祈ることもできません。悲しみや苦しみしか知らなければ自分の幸せに気づくこともないのです。

幸せと無縁であれば、楽しい事、愉快な事だけが幸せだと思ってしまうのです。苦しくても幸せはあるのです。感動できることも幸せです。

幸せだと思うことが幸せです。

自分との縁が強ければ強いほど運命を共にする人になるのです。
無縁とは知らないこと、忘れてしまったことです。

運命を共にした人と無縁になろうとするのに忘れられないのは心が繋がっているからです。目に見えない、耳に聞こえない、触ることも、臭いもないのにあるのが心です。

心の繋がりは消せません。無縁にはできないのです。

#たぬきのポッさん #エッセイ #スキしてみて

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