やられたらやり返す 今日写真は庭の雪景色
今日の写真は庭の雪景色
やられたらやり返す。やられてやり返さないとやられっぱなしになります。さらにやられるかもしれません。それでは何をされたのでしょうか?
やり返すほどのことでしょうか?
すぐにやり返すのは相手の行動が自分に害を加えたと思った時です。
害を加えられないように自分を守るのが自衛です。攻撃されたからと攻撃するのは戦いです。自衛だとやり返してしまうのは自衛ではありません。
攻撃されないのが自衛、攻撃されたら自衛ではないのです。
攻撃されないようにするにはこちらから攻撃しないことです。
攻撃するメリットを無くすことです。攻撃しないメリットをアピールして、攻撃するデメリットを把握して攻撃しない選択をさせるのです。
言い方を間違えると相手は攻撃だと感じて言い返されるのです。
攻撃はしないと思っていても攻撃だと受け取られたら攻撃です。
逆に攻撃を受けても攻撃だと思わなければ攻撃では無いのです。
全ては人間関係の摂理です。
相手の立場に立って物事を行う。また相手の立場になってみると自分の立場と相手の立場と理解できて人間としての幅が広がるのです。
やられたらやり返すのは自分と他人の関係です。自分と他人の区別をしなければやるのもやられるのも自分です。なぜやられたのかを理解すればやり返すことが修行になるのです。
幽霊は怖いものですが、自分の親が幽霊になって現れてくれたならば怖くはありません。嬉しくて仕方がないでしょう。感動して泣いてしまうかもしれませんが、驚いて泣いているのではありません。
好きな人であれば幽霊になったとしても会いたいのです。
嫌な人であれば幽霊になって出てきて欲しくないのです。幽霊が怖いのではないのです。その元になっている人によるのです。
死者が生きていた時のように蘇ることはありませんが、記憶の何処かに残っていて、それが映像化して見えたり、音となって聞こえたり、思いが感覚として感じると死者にも会えるのです。
やられたと思うだけでやり返したくなるのは幽霊が怖いと思うのと同じです。相手のことを自分のことのように理解していたならば対処方法が違ってくるのです。
ただその前提が必要です。
人は幸せになる為に生まれてきた。他人の幸せを奪ってはいけない。
その前提条件を伝え続けることが生まれてきた理由です。
やられたらやり返すは人類が滅ぶ事柄です。やり返すことを考えるよりも、やられないには、どうすべきかを考えましょう。滅んで行く人とは縁を切りましょう。互いに生き続ける人と縁を結びたいと思います。