今日の写真はおまぜと黒豆と豆腐のお味噌汁。
全ては違和感を感じることから始まる。
子どもが学ぶのは基本です。逆に言うと基本を学ぶのが子どもです。
基本とは、日常を幸せに暮らすための最低限の知識や経験を得ることです。
基本ができていないのに大人になった気分でいるのは年齢に関係なく子どもです。大人だと思ってもこの道は何時も通っているけど違和感があると感じずに危険な目に遭うのは子どもだからです。
大人だから子どもを守り子どもが幸せに暮らせる術を学ばすのです。
図体だけが大人で本当の大人でない人は幸せになれない大人で大人だとしておきましょう。それでは幸せを知っていて幸せになる術を知っている大人はなんと呼べば良いのでしょうか?
幸せになる術を知っていて、それを学び、経験して人に伝える事ができる人を老人と呼びましょう。男の老人をおじいちゃん、女の老人をおばあちゃんと言います。年齢で区別してはいけません。
老人は違和感を感じるのです。
平和でない違和感があるから動くのです。幸せでない違和感があるから動くのです。楽しくない違和感があるから動くのです。
学んだことは基本です。基本通りにするのでは無く、学んだ基本と違うと感じることから疑問を抱いて自分で納得するために調べたり研究するのです。
不思議だと思う。疑問に思う。否と思う。
違和感なく素通りするのは無意識だからです。違和感があることで人は動くのです。違和感とは刺激です。聞こえる、見える、触っている、臭っている。脳は刺激を覚えるのです。
脳が刺激を覚えると知識となるのです。記憶とはそのような刺激です。
違和感が無いとは刺激がないと言うことです。
肉体的に老人で本当の老人で無い老人は年寄りと呼びます。
年寄りとは歳だけとった人が寄り添っているのです。
見た目だけで子ども、大人、老人、年寄りと判断してはいけません。
集団でないと自分を表現できない人は子どもか年寄りです。
見た目が子どもでも老人はいます。子どもを年寄りの犠牲にしてはいけません。そうならないように老人は幸せになる術を伝え続けるのです。年寄りは自分の幸せを望み、老人は全ての人の幸せを望むのです。
違和感を感じて、自分が納得できるまで経験を繰り返すのです。書物を読むのも経験です。人の話を聞くのも経験です。体験するだけが経験ではありません。
違和感を感じましょう。違和感を感じない事は脳に刺激を残さないのです。
いつも通りに行なっていることは、忘れる事があります。惰性で行っているからです。見えない事があります。頭脳が認識しないからです。片付かないのは違和感を感じないからです。
違和感に反応する事は幸せに暮らす入り口です。毎日がいつもと違うのです。同じ日も同じ時間もありません。刺激が無くなると幸せも感じなくなるのです。
不幸せを察知すると避ける事ができます。逃げる事ができるのであれば逃げましょう。逃げる事ができないのであれば助けを求めましょう。日頃から助けていれば助けてくれます。
幸せになる術をいくら学んでも学んだ事と違うと感じなくては学んだ事を理解したとは言えないのです。幸せになる術を全て学ぶ事はできません。なぜなら自然の摂理も人間の摂理も知らないと全部の人が幸せになることはないのです。
そうです。知らない事がたくさんあるからです。
知らない事だと気づいて知る事が必要です。それでも全てを知る事はできないのですからせめて違和感を感じましょう。