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他人のミスを自分が責任を取る場合の心構え。今日の写真は、紀州路みなべに展示されていた南高梅のPR。

結果がミスったことを知らされてそのミスったことに自分の責任がどこまであるのかを理解します。原因と因縁より結果があるのです。自分の行いは因縁です。原因となったものに気づかなかったならば、気づかなかった自分に責任がありますが、見ても、聞いても、触っても、臭っても無いものは気づきようがありません。責任を取るのは知っていることだけです。

報告して連絡して相談するのは、責任を自分一人では請負うことができないからです。それによってタイミングを失う、及び腰になるのは、事前に情報の共有化ができていないからです。

事前に相談ができていればタイミングを外すことも、チャンスを逃すことも無いのです。責任は取らないが手柄は取る人は、それがわかっていて相談では無く命令を口頭で済ませ、結果を出せと言うのです。

良い結果は自分のもの、悪い結果はあなたのものにしていませんか?

他人のミスが自分に及んでいるのであればそれは縁があったのです。
事前に受けた報告を忘れていませんか?
連絡を受ける体制を潰していませんか?
相談しやすい環境をし難い環境にしていませんか?

家族、近所、学校、会社、組織内、社会、全てにおいて自分を幸せにする責任があるのです。幸せとは不幸せで無いことです。不幸せにならない家族のあり方は、不幸せだと思う事にならないように事前に色々想定して選択肢を作る事で不幸せを避ければ良いのです。

他人のミスが自分に影響を与えたと言う事はその他人とは無縁では無かったのです。自分が想定していなかった他人のミスであれば避けようが無いのです。もしも想定していたならば避けようがあったのです。

想定できなかった事は、不幸ではなくサプライズ(驚き)です。驚いている場合ではありません。対処法を見つけるのです。早くこの不幸から逃れる方法を見つけるのです。他人の幸せを奪わないように自分の不幸を無くすのです。分析する手順は、原因と因縁と結果に分けてから想定できる選択肢を作ります。そうなると他人のミスが自分の選択肢に変わるのです。

雨が降らなければこうならなかったと想定しても雨は降るのです。
雨が降った場合はこうなると想定して、自分の思う結果にしたければ因縁を色々付け足すのです。高い所で作業するならば命綱とヘルメット、足場が必要かも知れません。安全講習を受けた人に安全管理をしてもらいましょう。

素人がネット検索で知識を得たからと何かをしてもそれは、玄人では無いのです。ネット検索で得る知識は自分の知識を裏付ける道具でなければ、嘘も噂も気づくことができません。

みなべ町にある鹿島が大津波で二つに分かれたと昔から語り継がれたようですが、真実は大津波が鹿島によって二つの波となってみなべの町を守った記録があります。また、三鍋みなべは鹿島が三つの鍋を並べたように見えることからつけられた地名でその後、南部みなべ、みなべと変化していったのです。

「南高梅」は県立南部高校で生まれた大粒で肉厚の梅でみなべ町では沢山植えられています。梅干しに加工されて全国に出荷されます。

みなべ町の梅干しが盛んになったのは日本軍の特需(日の丸弁当)だった事はあまり知られていません。地域の歴史は良いことばかりでは無くその時の致し方ない事情があるのです。

戦争で儲けた人は戦争を望むのです。巡り巡って何らかの縁が自分にあるのに無いと思ってしまいます。選挙の一票は小さな縁です。でもその結果には責任を負わされているのです。物価が高いのに税金まで高くなる。戦争はしたく無いのに経済制裁戦争はする。

#たぬきのポッさん #エッセイ #スキしてみて


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