罰を降す。(素人の専門家になるべきです)
今日の写真はみのりの田を飛ぶ鳩です。
罰は降すものではなく、受けるものです。罰は降さなくても必要になった時に受けるのです。大切にしなければならないものを大切にしなければ罰を受けるのです。
決まり事を守らなければ罰を受けるのです。人が人に罰を下す事はありません。法律で罰を与えているように見えるのは本当の罰ではありません。決まり事にあるから刑罰を与えているのです。
人のものを盗んではいけませんと決まり事があるわけではありません。
弱肉強食の自然界ではなんでもありなのです。人間は弱い自分を守るために集団になりその集団内で規則を作ったのです。規則を守らなければ集団になった意味が無くなるのです。
規則を守ることと決まり事を守る事は違います。規則には大切なものを大切にしましょうとなっていません。他人の大切なものを自分のものにしてはいけませんという規則はありますが自分のものを大切にしましょうという当たり前の決まり事があるのです。
規則はルールで、決まり事はマナーです。マナー違反は規則で罰する事はできませんが罰は当たるのです。ルールを規則や法律だとすると、マナーは作法や道理、道筋と言われるものです。
茶道や華道、剣道、柔道は技を習うことよりも心を鍛える要素が強いのです。作法で形を習い、繰り返す事で身につけるのです。
道を外すと罰を受けるのです。
人生道があります。生きる技です。生きづらいのは人生道を知らないからです。私も人生道を知りませんが、あったならば茶道と華道と剣道と柔道ありとあやゆる「道」がつく習い事に共通する部分だと思うのです。
日本には漢字があります。漢字は意味を含んだ象形文字から発達しました。アルファベットで簡略化した単語は解釈がなければ意味がわかりませんが漢字で表した単語には見ただけでわかる意味を持っています。
人生道とは人が生きる道という意味があります。道を外すとは人が生きにくい状態になる事です。それが罰という形で現れるのです。
法律を守っていれば人の道を外れた事をしても良いのでは無いのです。
法律を破っても人の道に外れた行いをしていなければ罰せられる事はありません。またそのような法律は間違っているのです。法律は何度も改正するのは決まり事と違って人間が決めた事だからです。
決まり事は自然が決めた生きるための知恵です。沢山の卵を産むのは沢山食べられて生き残る数が少ないからです。一つの種族が滅ぶとそれに関連した種族も滅ぶのです。だから自然は滅ぼす事はしません。
集団に逆らう事をすると賞罰が降されます。ほめられたり、ばつを喰らったりして集団の思う道を歩かされるのです。人生道とは良い集団に入る事です。自分に合わない集団を自分に合わせる事はできません。自分に合った集団に属する事です。目的別に複数の集団に属してもかまわないのです。
複数の集団に属するとはネットワークです。一本の道ではなく網の目のように目的に合わせて辿りつければ良いのです。道を外さず幅広く歩くための手段です。
道を外して、罰を受けないためには道幅を広げるのではなくたくさんの道を知りましょう。つまり日曜大工も料理もお菓子作りも洋菓子、和菓子にパン作り、ラーメンからうどんにスパゲッティーも作るし、食べる。
そして得た結論は、専門家に任せるです。
専門家は自分の専門分野から踏み外す事はありません。自分の専門以外のことには口出しできないのです。自分の出来ることとやって欲しいことがわかっているのが専門家です。
素人は素人の専門家になるべきです。自分ができない事をするから罰を受けるのです。たくさんの罰を受けて専門家になっていくのです。
その道何年と言う専門家になるのです。