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クラニオお客さまと話して氣づいたこと

先日お客さまとの対話から


「期待していると何も感じない」

「前回受けた後に明るい感じになったのでもう一回」と。
今回受けに来た理由、を話してくれた。

クラニオについてお話を色々している中で、
人が違っても感じるもの起きることは違うし、
人が同じ(受け手とプラクティショナー)でも、
起きるコト感じるコトは違うかもしれない、と。

半年間月一オンラインで参加している瞑想会での話を
思い出した。
「期待していると何も感じない」という話。
その時はピンとこなかったけど、
お客さまと話していて腹落ちした。

期待している➔思い描いている結果がある➔思い描く結果以外に目がいかない➔起きている現象も無いものにしている可能性がある。

今起きていることがあったとしても、それが思い描いているものと違ったら、せっかく今起きていることも感じていないのかも。

「期待せずにただその時起きていることを受け取る」
これはクラニオプラクティショナーとして大事なこと。

「知識、学んだことはカーテンの後ろに隠して
 ただ、今起きていることを受け取る」

CHAこまちゃん

これは色々学んできた途中で言われること。
知識として学ぶのは当然。
知識があった方が、何が起きているのか理解できる
受け取れることの幅が増えるんだろうと思う。
ただ、プラクティショナー側が意識として分かっていなかったとしても
身体に起きていることは起きるんだけど。
その深さが違うという感じなのかと思う。

差があることでわかることもある

クラニオのクラスを受けていて、
クラニオのタイド(細胞たちの波の動き)を感じられるように
なるにも、モジュール5くらいまで進まないと、確信が得られなかった。
分かる人はモジュール1にして、分かっていて、
私は牛歩のごとく一歩一歩少しずつ少しずつ分かることをしているんだな。
「自分の安心安全な速度で、変化をしていってるんだな~」と。
急な変化とか難しいのかな。
今までやったことないし感じたこと無いものも少しずつなんだな。
差があることで、出来てうらやましいなと感じることもあるが、
何に価値をおいていて、安全だと思っているかとか、
自分のこともわかってくるな。

人それぞれ感じ方が違うというのも、受け取り方が違う
というのも、実際に分かったし、自分がどういう傾向があるかも
省みるきっかけになったな。

自分に目を向けてほしい

私が「今どうですか?何か感じていますか?」と聞くのは、
自分の身体に目を向けてみて欲しいからであって、
答えが欲しいわけでも、何も感じないな~と
ネガティブになってほしいわけでもない。
ということが分かった。
声の掛け方や、聞き方をもう少し考えよう。

日々、社会で忙しく働いていて外に意識が向いていることが多い、
子育てに追われていて自分のことは二の次になっている、
そんな方たちに、自分の身体に目を向ける機会をもってほしい。
身体の感覚と意識が認識することが、違ってる方にも
身体の感覚を認識できるようになってみてほしい。
自分がどんなことで不安になるのか、
どんな状態のとき心地いいと感じるのか、
どんなとき安心を感じるのか、
いろんな自分を知ってほしい。
そうすることで、身体に無理がこない内に対応できることがあると思う。
そして、それが自分にとっての楽な方を知ることにもなると思う。
そして、「人それぞれ違う」ということの実感にも繋がるから、
摩擦が減ったり、自分も他人も許容できるようになったり、
視野が広がるきっかけにもなる。

あと、身体からのSOSに氣づけるようになるかもしれない。

他者のことは気にするのに自分の声を気にしないでいると、
いつか無理がくる。
そうなる前に、自分に目向けるきっかけに。

ここからは少し難しい話。。。

”西洋医学の外で長年行われてきた、他の古い、非薬理学的取り組みの価値も、受け入れやすくなった。これらの取り組みはみな、人と人との間のリズムや、内臓感覚の自覚、声や表情による意思疎通に依存している。
それらは、人が闘争/逃走状態を脱し、危険の知覚を立て直し、人間関係を管理する能力を増進するのを助ける。”
”私たちが腹の底で感じるものは、なぜそのように感じるかをきちんと説明できなかったとしても、何が安全か、生命の維持に役立つか、脅威を与えるかを知らせてくれる。私たちの内部感覚は、自分の生体の欲求について、微妙なメッセージを絶えず送ってくる。”
”体のメッセージを無視したり歪めたりすると、その代償として、自分にとって本当に危険なものや有害なものを感知できなくなるし、それに劣らず問題なのだが、安全なものやためになるものも感知できなくなる。”

身体はトラウマを記録する

簡単に言うと、ヨガや呼吸法、鍛錬法や武道、演奏や合唱、ダンスなど西洋医学外のことって、いいらしいよ~。
闘争/逃走状態から立て直せる力を助けるよ。
自分の身体の感覚をみること、感じることは、自分のために必須。
それがなぜかわからなくても。

という感じかな。
なので、医学的にも、クラニオで自分に目を向ける練習をするって、
必要なんだな~と。
心理学をかじったときにも、そのスキルって、クラニオ学んでると
身についてるな~と感じる。
心と体は一体なのだから、当然といえば当然。
どちらからのアプローチが自分に合っているかの違いだけかも。

ただ、身体が安全と内部感覚で感じる方が、スムーズに事が運ぶかも、
ってことだな。
だから、心理士さんとかも身体からのアプローチの方が早いって言うのかもな。

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