今後のパン耳事業、および、人類パン耳計画の展望
これは、パン耳ストの名付け親であるインク中島様にあてた手紙です。
インク中島様へ
こんにちは、本日よりパン耳研究家として、活動を始めることにしました、新造真人です。改めてご挨拶をさせていただきます。以下に、今後のパン耳事業、および、人類パン耳計画の展望について述べます。
私は本日(2020/02/13)より、日本中のパン耳を食べ比べるという、果てしない物語に飛び込みました。パン耳ストの名付け親である中島さんはご存知かと思いますが、パン耳を食べればそのパン屋のことが十中八九わかります。パンのクオリティだけではなく、パンの作り手の体温、経営状況。
「プロのパン耳ストになれば、パン屋のご主人が、どこの奥さんと浮気しているかなんてものも、パン耳を一口食べればわかる。パン屋のDNA情報を含んだパン耳を観察すれば、自ずと地域の実情が見えてくる。」
今日の昼に話したこの言葉は、死ぬまで忘れることなく、今後の指針としていきます。また、私が人類パン耳計画を始めることとな誰もが知っているあの名言を紹介します。かの有名なパン耳文化比較論の権威である、パン山耳座衛門は生前に残した言葉です。
「パン耳を比較することは、地域を咀嚼することである」
この重い一言は、彼が残した「一隅を照らすパン耳の恐ろしい味わい方(ちくま書房)(※0)」の冒頭に書かれている言葉です。わざわざ説明することも億劫ですが、これは、パン耳を用いれば地域を雄弁に語ることできる。さらには、パン耳を食べずして地域を語ることはできない。とまで言ってしまっても、過言ではないという意味であり、耳座衛門のパン耳によって次世代の文化発展の礎を築こうとする宣言でもあったわけです。なかなかまだ、パン耳ストの意義が社会に浸透していることを理解されづらい世の中ではありますが、パン耳ストの名付け親である中島さんには、こちらは強く頷いていただけるとか思います。
今回、私はひょんなきっかけにて美濃に足を運びました。これまで岐阜に来たことはありましたが、このような町並みが岐阜県内に広がっているとは全く想像もしていませんでした。そして、2週間の仕事が先週日曜に終わり、私は東京に戻る予定でした。終わったのですから、普通は帰りますよね。なんなら火曜日に東京で予定がありました。ですので、私も帰らなければなぁと思ったのですが、それは思っただけでして、気づけば美濃での居候生活も20日目に突入します。そんな私は生活費を抑えるために、湿度が20%台の極めて極度乾燥しなさいな古民家にて、今日もパン耳をむしゃむしゃ食べながら、この文章を綴っています。これはなかなか趣があることだと思います。
美濃を起源としました、私のパン耳スト(英 : panmmist)の経歴は、いったいどこまで羽ばたくことが出来るのでしょうか。ぜひ一緒に想像し、夢を語り明かす夜を過ごしたいものです。まずは手始めに、岐阜県は美濃市のパン耳を手中に納めます。今日は3軒の店からパン耳をいただき、早速比較しました。いつ戻るかはわかりませんが、その後はまず東京に戻りに、地元三鷹市のパン屋を攻め、世田谷区を、港区を順々に攻めます。そして、ゆっくりと、でも確実に日本各地のパン屋を巡り、比較します。各地域で出会ったパン耳への素直な気持ちを「パン耳研究家のWebsite(https://panmimi-master.tumblr.com/)」に綴ります。
いずれ、パン屋からは「あいつが来たらパン耳をごっそりもってかれるぞ!」と後ろ指を刺され、子供達からはパン粉を投げつけられる日が来るでしょう。大学の同期からは「あいつは慶應を出たくせに、パン耳ばかりかじっている」なんて陰口を叩かれるのです。「なにで君は生計を立てているのですか?」と紳士淑女に問われたならば「それはもう、決まっているじゃないですか」と、紳士で不敵な笑みを浮かべて「ぱ・ん・み・み」と応対する計画です。しかし、数ヶ月もすれば、世間は手のひら返しで、こちらに関心を寄せ始めるわけです。
「こんな見事なアプローチで、地域文化を比較する人間は見たことがない!」
「庶民的な食べ物であったパン耳の地位が、いつのまにか上昇している。一体誰が?」
「高校生の娘に聞いたんだが、SNSをパン耳ソムリエなるものが騒がせているらしいぞ、、、」
噂が噂を呼び、お前は何者なんだ?と連絡がきて、私が返信をしたその数分後には、色々な出版社から本の執筆依頼が来るわけです。
「あなたの持つ、パン耳の知見を、日本全国のひとに広めませんか?」
「あなたが語るパン耳の魅力には、地方創生の本当の意味が隠されています」
「おすすめのパン耳を食べたら、筋肉がモリモリになり、出世もして、ついには奥さんまでできました!」
これまで出会ったことのなかった人や、憧れの国の外交官から次々と「5分だけでいいから会いたい」と、連絡が来るのです。
今は、パン耳をかじって耐え忍ぶ時です。しかし、それもほんの一瞬。すぐさま私はパン耳でフェラーリを買うのです。ランボルギーニを買い、ポルシェを買うのです。運転免許証を持ってないのに、そんな高級車ばかり買うのですから、私は本物のバカです。しかし、そんなバカでも、パン耳を語るときには真剣です。私の初めての書籍は小学館からです。重番出来となる「パン耳探検記(小学館)」を出版します。この処女作が見事にヒットしまして、メディアやTVに出るようになります。ついにはその影響で大河ドラマでお殿様がおいしそうにパン耳を頬張るシーンが出て来ます。偉そうな顔して、朝の情報番組でアナウンサーがパン耳をムシャリムシャリとする日も、そう遠くはありません。その次には「パン耳文化比較論(ちくま書房)」「パンがければパン耳を食べればいいのよ(欧明社)」を次々と出版します。一躍時の人となり、プロフェッショナル仕事の流儀にでます。
この頃から、海外ロケの仕事も舞い込むようになります。しかし、たとえフランスのパリに行きましても、アメリカのNYに行きましても、何を食べるかはお分かりでしょう。そう、パン耳です。生粋のパン耳ストとして、私が食べるのは海外でもパン耳だけ。世論が私を神聖化し、パン耳のアイドルだと思い込み、パン耳以外にも様々なものを口にするという、総合的な私の人間性を否定し始めます。なぜ、海外に行ってまでパン耳ばかり食べなければいけないのか。
もちろんこっそりパン耳以外を食べます。それは、楽しませていただきたい!現地でエスカルゴやウインナーを頬張るのですが、それをフライデーにあたかも不倫かのように掲載されます(そんなことよりも、税金使って海外で不倫旅行しているバカップルを報道してほしいですね)。そして、私がパン耳以外を食べることや、日本各地のパン耳を買い漁ることで、日経株価が乱れ、日本にアンチ勢力が結成されます。
さらには、「パン耳保護委員会」や「パン耳研究家からパン耳を保護する会」「パン耳と語る青空平和の会」なるものが設立され、急進的な彼らは「パン耳を食べるくらいなら、ケーキを食べろ!」と私に嫌がらせの電話や、サンドイッチ用のパンを毎日毎日よこします。そんな自分の人生を呪いたくなる日もくるかもしれません。しかし、パン耳友好都市とて認定された世界各国の都市を歩くときには、老若男女に握手を求められ、パン屋からは献パミ(※1)をされます。
さらには、マガジンハウスが出版しているananでは、年に1回「パン耳特集」なるものが始まります。ananと言えば、年に1回ある「SEX特集」が人気ですが、それよりもパン耳特集が好評になってしまいます。ananの2大特集として「パン耳」と「SEX」が並ぶ日は、そう遠くありません。そして、何を間違えたかマガジンハウスは「パン耳とはじめる新しいセックスの形」という本や「パン耳グラビア」なるものを始めてしまいます。もう、パン耳は社会現象ですから、誰1人としてその状況に疑問を持つ人はいません。朝のニュース番組では、天気予報のあとに新しいコーナーが生まれます。今日の湿度とそれによるパン耳の影響について毎朝5分の情報番組のスタートです。
そして、ここからが一大事です。ある時から「パミラー(※2)」という、パン耳に性的興奮を覚える若者が生まれます。今の若者は、デジタルネイティブやゆとり世代などと呼ばれますが、次の世代は「パンミミネイティブ」「パン耳世代」と名付けられ、電力会社も、精密部品の会社も、ありとあらゆる会社がパン耳を製造する「パン耳戦国時代」になります。
技術革新は、戦争とセックスによって大きな前進がもたらされたと言われていますが、次の技術革新はパン耳によって導かれるのです。そして、そのパン耳は若者の性的対象となることで、セックスを歪んだものとします。さらには、軍のトップまでもがパン耳を食べまくる時代です。それまでは、肉ばかりを食べ、血気盛んだった各国の軍事司令官が、パン耳を主食にしたところ、途端に争いに興味がなくなってしまい、世界からは戦争が無くなります。世界の軍事予算は、パン耳生産のための予算にまるごと添加され、世界からは著しい飢餓は無くなります。しかし、その代償として人々がパン耳ばかり食べるので、栄養失調が流行し、新たな生活習慣病が生まれるのです。
パン耳がもたらした、若者の変化。世界情勢の明らかな変化は、社会現象として様々なニュース番組で取り上げられます。その時に、インク中島さんはテレビのコメンテーターとして呼ばれ、
「このパン耳を起点とする社会現象はですね、実は岐阜県の美濃を発祥としているのです。パミラーと呼ばれる人たちの倒錯した性的興奮も、美濃商家町にあるMam'sのパン耳を食べれば、けろっと治りますよ」
などと発言するものですから、美濃には日本全国、世界各国からパン耳に異常性欲を覚える老若男女が殺到します。うだつ、和紙、そしてパン耳の町。美濃が新しい認知を得るわけです。そして、思いやり予算にも匹敵するほどの、さすがにそれはやりすぎだろ?そんな金額をそこに突っ込むなら、もっと福祉とか教育とかに回したらどうですか?と、大声を出したくなるほどの税金が美濃に投入されるわけです。そして、美濃のうだつの瓦の上には、大量のパン耳が盛られ、「うだつ2.0」として新しい美濃のまちづくりがスタートします。
その頃には、中島さんは
「木造建築なんか、だめねだ。
日本の国土の7割は産地なんだから、時代はパ耳築だね」
などと言い始めているころかと思われます。誰も建材として見向きもしなかったパン耳に、いち早く注目し、美濃町にパン耳建築(通称:パ耳築)を建てまくり、パ耳築界の巨匠として恐れられるかと思います。その柔らかさゆえにどんなに大きな地震が来たとしても、決して倒壊することないパ耳築は、地震の多い日本にはとてもありがたがれる存在です。そして、かつてから雨漏りのする建築と言われた「長良川国際会議場」は、安藤忠雄のコンクリート建築から、中島昭之のパン耳建築に建て替えられます。
そしてゆくゆくは、岐阜県には、新時代を象徴する新しい建築が生まれます。中島さんの母校である岐阜県立森林文化アカデミー、情報科学芸術大学院大学 (IAMAS)に並ぶ、「Pan-Mimi Hadid (※4)」。これは新時代の教育施設です。こちらはパン耳について学問をする専門機関であり、ここから次世代を切り開く世界的なパン耳ストが飛び立つこととなります。その学び舎の隅に、インク中島さんと、初代パン耳スト新造真人のパミ像(※2)が建てられるのです。
訳注
※1パミ献:パン屋さんや、個人からパン耳を献上されること。パン耳ストとしてはこの上ない喜びである。
※2パミラー:アムラー、マヨラーに続く社会現象。パンミミについて対して特別な感情(恋愛感情や性的欲求)を抱く人々のこと。このニュージェネレーションの出現により、パン屋さんにはコンビニやレンタルビデオ屋で見かけるような18禁の暖簾がかけられた隔離空間が誕生することになる。
※3パミ像:パン耳で建てられた像のこと。雨には滅法弱い。そこらへんの鳩に無残に食べられたり、お腹の空いた星野くんがばくばく食べる。それゆえに、週に1回のペースで新設されつづけることになり、パミ像建設の専門業者がとても儲かる。
※4Pan-Mimi Hadid :ザハ・ハディットの名前とパン耳を合わせた造語であり、新時代を象徴するパン耳建築
PS
どれくらい続くかわかりませんが、「パン耳」についての考察を始めようと思います。面白いかも?と思ってくださる物好きな方は、以下をフォローしていただけると、活動を続ける励みになります。研究報告します!