Jリーグの秋春制移行③ 田嶋会長という超優秀な怪物(前編)
過小評価される田嶋会長
秋春制移行論議について、今回は日本サッカー界の総大将である日本サッカー協会・田嶋幸三会長に焦点を当てて書いていく。そのテーマ性ゆえに、前回の『Jリーグの秋春制移行② メディアの機能不全』の内容をなぞる部分も多くなるが許してもらいたい。
常々、不思議に思っていることがある。日本のサッカー界隈のメディアやライターは、なぜ田嶋会長を過小評価したがるのだろうか?「アジアのサッカー界における田嶋会長の政治力など、なきに等しい。だから西アジア諸国にやられっぱなしなんだ…」などといった考え方が、一般のサッカーファンの間にも広がっている。本当にそうなのか?
私は田嶋会長を『超優秀』だと考えている。
田嶋会長の肩書きを確認すると、日本サッカー協会会長(現在4期目・2024年3月で任期満了)、FIFA理事(現在3期目)、AFC技術委員長、東アジアサッカー連盟会長(通算で現在2期目)。ついでに書くと2020年に藍綬褒章を受章していて、妻はFIFAの医学委員である。
人を肩書きで評価するのはおかしいと思っているが、かといって凡庸な人物にこんな肩書きが付いてくるわけがない。会長選挙後のいわゆる報復人事・お友達人事や、ハリルホジッチ元日本代表監督解任時のゴタゴタなどでサッカーファンの心証が悪いのは理解できる。しかし、その一面をもって、田嶋会長を過小評価するのは、あまりに間が抜けている。
以下、サンスポ&スポニチが2020年に報じたインタビュー『田嶋会長がACLの秋春制移行をAFCに提案』が捏造ではないという前提で論考していく。
(サンスポ&スポニチの記事は、前回の『Jリーグの秋春制移行② メディアの機能不全』で紹介している)
田嶋会長の宿願 Jリーグの秋春制移行
こちらはスポーツ報知の先月(2023年11月)の記事。前回、記事の後半に載っている『秋春制議論の経緯』について、「▽20年4月 日本サッカー協会の田嶋会長が ACLの秋春制移行をAFCに提案」がすっぽり抜けていると指摘したが、その他については「何年に何が起きたのか」自分が把握している情報とあきらかに違っている記述がなかったので、引用させてもらう。
スポーツ報知は『秋春制議論の経緯』で、以下のように記している。
▽16年1月 日本協会会長選で秋春制移行を主張する田嶋幸三副会長(当時)が当選。
▽17年12月 Jリーグ理事会が、日本協会の田嶋会長が提案した22年から秋春制に移行する案を否決。
田嶋氏は日本サッカー協会の専務理事だった2009年3月、秋春制移行反対の署名5万5511人分の署名を直接受け取ったその場で「(真冬の降雪地でも試合ができるよう)人工芝でもOKにします。ぜひ理解してください」と熱弁をふるったほどの強硬な秋春制移行論者である。
その田嶋氏が2016年に選挙に僅差で勝利し(対立候補は浦和などで監督を務めた原博実氏)、日本サッカー協会会長に就任。翌2017年、『Jリーグの秋春制移行』を実現すべく提案したが否決されてしまった、という経緯である。
以下に示したURLは、田嶋会長の提案を否決したJリーグ理事会の直後に行われた記者会見の会見録である。ちなみにこの時のJリーグはチェアマンが村井満氏、副理事長が原博実氏という体制だった。
https://aboutj.jleague.jp/corporate/wp-content/themes/j_corp/assets/pdf/chairman_2017_11.pdf
会見録によると、田嶋会長はこの年(2017年)の3月と7月と11月に『Jリーグの秋春制移行』をプレゼンテーションしている。前年にサッカー協会会長という地位を手に入れ、「これでいよいよ宿願を果たせる」との思いで日本サッカー界のリーダーという立場から3度もプレゼンテーションを行った田嶋会長…。
その結果が反対多数による否決というのは、「またも宿願を果たせなかった」ことへの無念さに加え、「日本サッカー界の頂点に上り詰めても、これか…」という大きな屈辱を感じたのではないかと想像できる。
正反対のJリーグ 村井体制と野々村体制
この会見録を読んでいくと、6年前の村井&原体制のJリーグと現在の野々村体制のJリーグで、秋春制の課題に対する捉え方が正反対と言っていいくらいに対照的な点が多いことが分かる。
たとえば、『真夏の試合を避ける』という課題。野々村Jリーグは、秋春制に移行しても8月の試合は行うが(最新のB’案では7月第4週か第5週に開幕)6月と7月の試合が減るのだからメリットはある、という説明をしている。
これに対し、村井&原Jリーグは「暑熱は移行の有無に関わらずに避けきれないものである。7月だけでは暑熱対策は十分と言えない中、通年を通じて試合ができる日が多い方が融通がきく」「暑熱対策を講じる本来の理由は、選手のコンディションやプレークオリティの話であるが、その点でいくと、より根幹は十分な休養(2週間以上)がとれるかどうかという点にある」としている。
実際にJリーグが十分な休養を取れるスケジュールでやってこれたかどうかは別にして、野々村Jリーグ(秋春制では試合をしない期間が夏と冬の2回に増え、J1の場合、来季からチームが2つ増える ⇒ リーグ戦のスケジュールがタイトになるのを容認)と、村井&原Jリーグの暑熱対策に対する考え方が正反対なのは興味深い。
この会見録は、他にも現在の秋春制論議と比較しながら読み解いていくと参考になる点が山ほどあるので、次回以降にもう少し詳しく触れたいと思っている。
田嶋会長 ACLの秋春制移行をAFCに提案
閑話休題、話を田嶋会長を巡る論考に戻す。2017年に田嶋会長の『秋春制移行案』が否決された際、村井チェアマンは「AFCがどのような大会方式で日程をセットしてくるのかという点もあります。(中略)日本サッカーに非常に大きな影響をおよぼすような外的影響の変化があったら、都度、意見交換をしていく必要があるんだなと思っています。とはいえ、現状でいえば、当面はこの決定を重視したいと思っています」と説明している。
要約すると『Jリーグが国内事情で秋春制に移行することは当面ないが、ACLなど外的環境に変化があれば、再び議論する必要がある』ということであり、逆にいえば、田嶋会長の宿願を実現させるには『ACLの日程など外的環境を変化させればいい』ということになる。
2020年、田嶋会長はACLの秋春制移行をAFCに提案した。
注目すべきポイントは『提案』であること。西アジア諸国が言い出したことに『同意』したのではなく、『提案』すなわち一番初めにAFCに働きかけたと田嶋会長が自認していることである。
さらに注目すべきなのは「来年以降も(年またぎを)続けていくのがいい」という発言である。2020年当時、世界はコロナ禍にあった。田嶋会長の『提案』は素直に受け取れば「春秋制でスケジュールが消化できないのであれば、今回は日程を後ろに後退させ、秋春制でも仕方ないのではないか」という意見に思える。
しかし、「来年以降も(年またぎを)続けていくのがいい」という発言が付くと意味合いは違ってくる。一時的・緊急避難的な措置ではなく、恒久的に秋春制に変えてしまおうという意思を露わにしたのだ。『ACLの秋春制固定化』が日本サッカー界にどういう影響をもたらすか、田嶋会長の脳裏に浮かばなかったわけがない。
もちろん「ACLのような国際大会は小回りが利かない。スケジュールをいったん春秋制から秋春制にしてしまったら、次年度の大会から再び春秋制に戻すようなことは難しいと慮った発言」と解釈することもできる。しかし、忘れてはならないのは、田嶋会長は『日本サッカー界のリーダー』であるということだ。
(後編に続く)