嫌なやつへの心の持ちようについて<自省録(マルクス・アウレリウス)より>
自省録 第二巻 一 (神谷美恵子訳、一部口語読み下し。)
明け方から自分にこう言い聞かせておくがよい。
うるさがたや、恩知らずや、横柄なやつや、裏切り者や、やきもち屋や、人付きの悪い者(つまり、嫌なやつ)に私は出くわすことだろう。
この連中にこういう欠点があるのは、全て彼らが善とはなんであり、悪とはなんであるかを知らないことから来るのだ。
しかし私は、善というものの本性は美しく、悪というものの本性は醜いことを悟り、
悪いことをする者自身も、天性私と同胞であること-親族という意味ではなく、叡智と一片の神性を共有していること-を悟ったのだから、
彼らのうち誰一人として私を損ないうるものはない。
というのは、誰一人私を恥ずべき事巻き込む力はないのである。
また私は同胞に対して怒ることもできず、憎むこともできない。
なぜなら私たちは協力するために生まれついたのであって、
例えば両足や、両手や、両のまぶたや、上下の歯と同じである。
それゆえお互いに邪魔をしあうのは自然に反することである。
そして人に対して腹を立てたり、毛嫌いするのはとりもなおさず互いに邪魔しあうことである。
1900年も前のローマ帝国の哲人皇帝の言葉ですが、現代人にも刺さりますね。
職場で、プライベートで嫌なひとに出くわしたら、「この人も同じ人間として私と協力しあうために生まれたんだ。まだ善悪を理解していないだけなんだ」と思うことにします。