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「傷つける」人ってどんな人?

相手は他人であったり、物であったり、自分であったり…。対象はともあれ、何かを傷つけてしまう人の心理を考察したいと思います。自分の周りにもいるな、もしくは自分もそうかもと思う方、よかったら読んでみてください。


1.「傷つける」こと。

他人を傷つける言葉というと、「バカ」「ムカつく」「ウザい」「死ね」などを連想しますが、そういった直接的な言葉だけではありません。

よくいうマウンティングもそうです。さりげなく相手を貶め自分の方が上であると示し、相手の心を傷つけます。

いじりなんかもそうですね。自分以外の人をダシに使って笑いをとり、傷つけている自覚すらない場合も多いです。

自分を傷つける行為…リストカットなどはもちろん、飲酒、薬物依存、あるいは恋愛対象となる性(異性愛者なら異性)との関係に依存したり、売春行為などなど…こちらも多岐にわたります。

そういうことを行なってしまう人は、どんな人なのでしょうか。その行為に至る原因の一端について考察したいと思います。


2.なぜ傷つけ行為が発するのか。プライドと自己肯定感との関係。

結論から言えば、傷つけ行為をする人はプライドと自己肯定感のバランスが取れていないと思われます。

プライドとは、頭で考える「こうありたい自分」「こうあるべき自分」そして自分はそれらをきちんとできていると頭で考えることです。

いじり行為の例で言えば『いつも周りにたくさんの人がいて、自分がその人たちを楽しませている』そう考えることがプライドの高まりに繋がっています。

対して自己肯定感というのは深層心理で「自分は素敵な人間だ、大切な人から愛されているし、誰かを心の底から愛することができる」「自分以外の人と心の絆(信頼)で結ばれているなぁ」と自然に感じることです。心の奥底でのフィーリングで奥深くに眠っているものなので、普段自覚することは少ないと思います。

そして残念なことに、プライドと自己肯定感のレベルは必ずしも一致しません。

特にプライドが高く、自己肯定感が低いパターンが多く、その差がアンバランスな人格を表出させます。

自己肯定感の低さを、何かで埋めてプライドのレベルまで引き上げようとするのです。

冒頭にあるように、他人を貶め、自分の方が上だと示すことでプライドを満たそうとする人もいます。

また常に恋人やセフレを維持することで、自分の中に性的な価値を見出そうとする人もいます。


3.事例~私の場合~ 生育環境と親離れ後の人生

少し自分の話をさせてください。

かつての私は、上段最後の例の両方に当てはまっていました。さぞかし嫌なやつだったと思います。(笑)

親が完璧主義だったこともあり、完璧でないことは良くないことなんだと思って育ちました。

たとえば母親は夕飯にお惣菜を買ってくると、「今日は体調が悪くてお惣菜買ってきちゃった。ごめんね。」と言いました。私は『お惣菜をご飯に出すのは、理由をつけて謝らなければならないことなんだ』と感じながら育ちました。

また、片づけられない人間の私を母親は何度も叱り強制的に片づけさせました。朝起きられず、だんだんと中学や高校への登校が遅くなっていく私を感情的に怒鳴りつけ、強制的に登校させ、いくら怒鳴っても私が起きない時は、最終的に私が何を話しかけても無視されるようになりました。(起床後数時間ですので、ネグレクトとは違ったと思います。)

私は「片づけられないこと、朝が苦手なことは良くないことなんだ」と思いながらも、どちらも直せない自分を否定するようになっていきました。さらに十代前半でいじめを受けてから、自分という存在そのものに対して否定的になり、恋愛に依存していきました。勉強だけはできたので、その事実にも依存し、偉そうな物言いでたくさんの人を傷つけたと思います。

今は違います。心から信頼しあえるパートナーと出会ったことがきっかけです。(婚活の末…この辺はまた改めて。。)

最初は好きな気持ちはあれども、自分と異なる相手に、自分の正しさを押し付ける日々でした。けれども一緒に日々を過ごすうちに、相手は自分が持っていないものを持っていることに気が付いてからは、相手に対する尊敬の念が強まってきました。最初は「へー、自分にはそういうことはできないな」だったのが、「すごい。自分もそのようにふるまえるようになりたい。できるあなたはすごい」と思うように変わりました。

そして更に、パートナーは大ざっぱなのです。洗っていない皿がたまっていようとも、鏡が歯磨き粉のカスだらけになろうとも、気にしていません。(笑)

家事については完全半分こですので、どうしてもたまに「自分ばっかり気が付いて家事してる…」と思うことがあります。でも、最近ようやく気が付いたのです。そんな状態でも決して私が責められたことがないということに。

衝撃でした。少しずつ、完璧じゃなくてもいいんだ。ありのままを受け入れてくれる人もいるんだと思うようになりました。

まだ全ての人に"できない自分"を曝すのは難しいけど、パートナーの前では必要以上に飾り立てず、一緒に頑張っていこうねというスタンスに近づいてきています。

つまり、「プライド」の部分が下がり「自己肯定感」上がってくることにより、両者の差が縮まってきているのです。

そのため精神的に落ち着いて過ごせる時間が増え、休職から復職できる運びとなりました。(上記以外にも回復要因はありますが、それも追々…。)


つまり、プライドも自己肯定感も、生育環境によるところは大きいけれども、大人になってからの人生でも変えていけるのです。


4.結論

自分を傷つける人を許せとは言いません。

自分を傷つける行為をすぐやめろとも言えません。

ただ、理由を知り、今後の展望に望みを持つことで、少しでも皆さんのストレス軽減につながればいいなと思います。


4.あとがき

これまで他人に傷つけられると「目には目を」「倍返しにしてやろうか」と思ってきた自分ですが、それ自体がストレスになっていたように思います。これからは「不遇な生育環境に育ったんだろうな」「きっと他にも被害者仲間がいるはず」と思うことで怒りを逸らし、更には「これからその人の自己肯定感が高まるような何かが起こればいいな」と思えれば最高です。が、なかなか難しい気がします。(笑)

長くなりました。

自己肯定感については、またいつか経験に基づいた記事を書きたいと思います。

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