タイで考えていた事、私の持ち時間
この原稿は、一般社団法人 学士会の会誌"NU7"に記載されたエッセイを転載したもの(記載合意済)で、2020年3月号の原稿です。タイには2019/05〜2019/11まで半年と短いですが、仕事で行っていました。
以下、本文↓
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10年遅れていると思う。
YELLに関わって2年ほどだが、先を歩む人との出会いは実りが大きい。
だが、全ての出会いがそうとは限らず、その両方から自分の座標を探した。
その度に課題と自信に恵まれて、乏しくなった若さを恨んだ。
半年弱とは言え、上司は1年後のタイ赴任を私に話した。
案件が大きく、年単位の延長もあり、問題を抱える30半ばの私は潰れるかもしれない。不安と期待を背負い、英語と教養を学び、恵まれた課題と自信が私を整えた。
仕事は新設の生産設備立上げで、人種問わず誰もが深夜まで現場を這いずり回った。タイ人は今を大事にする陽気な野心家で、エリートは品位と教養を持ち、日本語を学びながら私達を観察していた。タイ語と英語と日本語で会話し、知性と若さが宿る瞳が私を和ませた。
私が住んだシラチャは日本が溢れ、タンカーに覆われた海と夕日が見えた。
増え続ける道路と高層ビルが、指先の画面に映る10年先の空を覆い被せていた。
半年後に帰国した私に不満の冬が襲った。
注がれた経験と乏しい若さが、私の中を蠢き、10年守った繊細で鋭敏な私の壁を叩いた。座標を動かした私は、希望と時計を拾っていた。
希望は私を励まし、時計は持ち時間を知らせた。
歳を恨み、苦しんだ過去の自分を責め、先を行く若さに嫉妬した。
ある映画で、彼は「創造的人生の持ち時間は10年だ」と言った。
私の持ち時間はどれくらいだろうか?
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