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どちらにしろ見かけが大切だ

「人を外見で判断してはいけない」
「人は見かけによらない」
「あの外見とは正反対の人だ」
これらは巷でよく言われるセリフだ。全て正しい。

この共通点は「外見」だ。外見は、その人を評価する重要なポイントだと考えられている。

外見と中身が違うというのは真実だと思うが、それをどうやって見分けるのだろう。

見る人の経験や性格、職業、自身の外見、性別などにも関連する。人の心をおもんぱかることができるかどうかにもよる。

noteの利用者は、読解力や国語力が高いと思っているので大丈夫だろうと安心している。


たとえば、たとえばの話であるが、女性でワニ顔の人がいるとしよう。

だからといって、性格がワニみたいに獰猛かどうかわからない。ワニに好かれるよりも犬に好かれるかもしれない。

もしかすると、中身は、常に笑顔をふりまいて周囲を明るくし、気を使いすぎで疲れてしまう人かもしれない。言葉の一つにも繊細に反応する人かもしれない。人の心を傷つけまいとして懸命な人かもしれない。外では、空気を読みすぎ、家では疲れ果てて、ぐったりしている人かもしれない。

反対に、ワニそのものの獰猛な性格かもしれない。(それはないだろう)もちろんたとえ話だ。

それは、見る側のパーソナリティによる印象に依存している。

本当の姿をどうやって知るかは、自己申告でもしてもらわなければ難しいのだ。


ぼくは見かけが大事と思っているので、なるべく服装は気をつけるようにしている。

「社会人としてまともな人間に見えるような服装」を店員さんには要求している。ぼくの好みはない。

お洒落とはちょっと違う。ぼくに関連する人への敬意だ。

「あんな変な人の知り合いなの?」とぼくに関連する人がそう思われるのが嫌なのだ。

「いやいや、そんなに変な人じゃないよ」と言ってくれたとしても、おそらく伝わらないだろう。それなら初めからきちんとしておいた方がいい。

もし、自分の共感する力に疑問がある人や、他人に対する敬意が、いまひとつないという人は、外見はきちんとした方がいいと思う。自分らしさを前面に出すと、勘違いされる確率が高い。

悪く思われていいことは何一つない。

ぼくは、他人の評価を気にすることはさほどないが、ぼくに関連する人への評価はとても気にする。いい人を悪く思われるということに耐えられないからだ。

エコ贔屓する性格が起因しているかもしれない。

今日の知恵は、
「外見はきちんとしておいた方がいい」
「きちんとしていると、自分にも周りにもいいものだ」