考えることを考えることについて
考えることと思うことは似ているようで違うということはnoteでの記事で何度も指摘した。
「雨が降りそうだから嫌だな」と思うが「だから傘を持って行こう」と考えるのである。どうするかの対処を考えるのである。
哲学とは何かと問われたら「考えることを考える」ということも定義に入れることができるだろう。考えることは哲学の仕事でもある。
しかし、考えることは意外にも難しく、間違うと生き方や生存にも関与する。だから私たちは考えなければならないのだ、とそう考えるのである。
また、思い込みや期待は煩悶や苦悩を生み出すというのは真実であり、ヒトは自分に都合の良いことを求め、それがうまく行くと喜び、それが続くと全能感さえ生まれる。
反対に、うまくいかないと卑屈になり自己評価を下げ、抑うつ気分に苛まれ、さらに続くと病的に陥るのである。それを抑止するのが思考である。
こういうと「私は考えている!」と返されるが、残念ながら考えているのではなく「思っているだけ」なのだ。
どうすればいいかの対処法や答えに近づいていないことでわかるだろう。「雨が降りそうだから嫌だな」と思っているのと同じなのだ。考えた方がいい。
だからといってややこしい哲学の本を読む必要はない。難しいことをさらに難しく考えていこうとするのが哲学の一面としてあり考えることが嫌になることがあるからだ。
哲学研究の人たちだけの世界の言葉のみで語る哲学は、私の考える心の世界の一部ではあるけれども全体ではない。
反対に私たち個人が生きる世界は一部のように思えるが全体でもあるということは重要である。
世界は思考で成り立っている。そのことをどう考えるかということは常に問われているように感じている。その前に世界とは何かということについても考えなくてはならない。
それらの答えに近づくにつれて心は解放され生き方がシンプルになり、かつブレなくなるものだ。