推論はメカニズムから考えてみる
ぼくは物事のメカニズムを知ることが大切だと思っている。
痛みはなぜあるのか、心はなぜこうも揺れ動くのか、病気の始まりは何なのだろう、とかのメカニズムを知ることに精を出す。その後で、どうするべきかを決める。
統計学者のリチャード.ロイヤルは、
○現在の証拠から何がわかるか
○何を信じるべきか
○何をするべきか
ということを述べたが、「何をするべきか」に答えるには、一番多くの情報や証拠がいる。直感にも根拠がいる。
そうでないのは、当てずっぽうという。
正しさを求めるのは意外にも難しいのだ。
何かの決断を下す時、いきなり応用編に向かいたいところだが、その結果は、メカニズムによって、良い説明がなされるべきものでなければならないと思う。そうなるとメカニズムは何なのかを考えないわけにはいかない。
大事な物差しは、いつも「メカニズム」なのである。
メカニズムを知ることは、まわり道のように思えるが、推論の精度を上げるには、メカニズムに基礎を置いて、多くの情報を吟味するしかないように思う。
推論の正しさは実践において為される。その成果は、メカニズムによって良い説明がなされるものだ。
デタラメはダメだ。
参考文献:
エリオット.ソーバー 科学と証拠 名古屋大学出版会