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23作品目 映画「オールドフォックス 11歳の選択」(シャオ・ヤーチュエン監督、ホウ・シャオシェン制作)

どうも自家焙煎珈琲パイデイアです。
「飲みながら思い出したエンタメ」の書き留め23作品目は、台湾ニューシネマの正統な後継者の登場に新しい希望を感じさせてくれた台湾のシャオ・ヤーチュエン監督による映画「オールドフォックス 11歳の選択」です。

横浜ブルク13にて

エドワードヤンが夭逝し、ホウ・シャオシェンが今作で引退を表明した今、台湾ニューシネマという映画史における一つの時代が終焉を迎えるのだ、と私は思っていました。
あの独特の空気感、温度感、映画では伝わるはずのない匂いや温度が、確かにスクリーンで表現されている、あの感覚が映画観るという営みとは別の営みようで、私は好きでした。そんな映画に一つの区切りがついてしまうのか。
しかし、シャオ・ヤーチュエン監督の長編映画4作品目となる今作の公開は台湾ニューシネマがこれからも、現代の写実性を持って続いていくことを確信させるのです。

台湾ニューシネマとは、1982年にエドワードヤン監督を中心とする4人の監督によるオムニバス映画『光陰的故事』の制作を皮切りに始まる新しい台湾映画のムーブメントのことを言います。
とか言っても、私なんかが生まれるよりも10年以上昔のことで物の本を読み、過去の作品を見返すことくらいでしか私も知りません。しかも、今では観ることが難しい作品ばかりです。詳しい方、よろしければコメントにてご教授くださいませ。
ただ、世界史の教科書を隣に置いて読んでみれば、あの時代に商業的でなく、プロパガンダ要素を排した作品の制作がセンセーショナルであったことはわかります。

舞台は1990年代の台湾。主人公はレストランのサービスとして働く父のタイライと二人で暮らす小学生のリャオジェンです。父タイライはレストランで黒服(サービスのトップ)として働いていますし、自分の子供をバックヤードに連れてきてはそこで宿題をさせたり、賄いを食べさせているので、暮らしがそこまで苦しいわけであないことが分かります。しかも、高校生の頃からジャズに傾倒し、テナーサックスを練習しているくらいなので、育ちも悪くないのでしょう。
二人は亡くなった母の夢だった理髪店が開業のため、家の購入を目標に日々、節約しながら慎ましく暮らしています。
父子は親戚が株で儲けるとそれを頭金に家の購入の算段がつきます。しかし、現実は残酷です。当時の台湾はバブルの泡は膨れに膨れる真っ盛り。地価は当初の2倍に跳ね上がってるのです。当初の計画で用意した貯金では持ち家の購入など泡よりも儚い夢。
そんな失望のおり、リャオジェンは「腹黒いキツネ(オールドフォックス)」と呼ばれる地主のシャと出逢います。
リャオジェンの父、タイライと自分の母親の背中に同じ「負け組の背中」をみたシャは、リャオジェンに自分と同じように勝ち登る術を教えます。それは不公平を生み出し、不公平を利用する方法。人のことなど「知るもんか」と。
台湾バブルが弾けて、株で儲けた親戚のおじさんも急降下大きな損失に見舞われると首を吊って自殺します。事故物件となったことで相場よりも安く購入できるようなったおじさんの家。
リャオジェンはそこを売って欲しいとシャに頼み込みますが、それは残されたおじさんの家族をその家から追い出すことになります。良心に耐えかねたタイライはシャに断り、父子の関係が大きく傾きます。

人のことを慮る父親タイライと手段を選ばず成り上がるシャとの間に揺れるリャオジェンを描き出した傑作です。

印象的だったのは、シャが所有するゴミ処理場に小学生リャオジェンがシャに「家を売ってくれ」と直談判しに乗りこんだ帰り道、後半に差し掛かるシーン。
何台も並ぶ高級車から真っ赤なスポーツカーに乗るリャオジェンとシャ。
このシーンが素晴らしい。本当に素晴らしい。
自分のやり方に反対した息子を亡くしたシャはリャオジェンは、「負け組」の親を持つ同士、自分のやり方を分かってくれると信じます。
しかし、リャオジェンにまで自分のやり方を否定されたシャは自分は間違っていないことを滔々と語り始めます。

カメラアングルが車の中から外へパンしていきます。
次にカメラが抜くのは、二人を乗せたはずのスポーツカー、しかし、実際に写っているのは運転席に座るシャと助手席のフロントガラスに映るシャ。
まるで、二人のシャが向き合っているような画角。まるで、自分が間違っていないことを、自分に言い聞かせているかのようなアングル。
そして、カットが変わって車中のリャオジェンが抜かれると、彼は水を一口含み、一言、「知るもんか」と。シャに教わった一言です。

もうこのシーンの為だけに、この一言を聞く為だけに、また映画館に行きたくなります。
こんな素晴らしい長回し観たことがありません。
映像としての美しさ、プロットや話の流れとしての必然性、キャラクターの心情表現、どれをとっても、全てにおいてこのシーンの正解だ、このシーンはこれでしかあり得ない、と思わせます。
まさに私が好きな温度と匂いを感じる台湾映画に独特の空気感です。

次に結末も素晴らしいものでした。
以後、ネタバラにはなります。しかし、この映画はネタバレによって鑑賞価値が下がるような映画ではありません。これから観る予定がある方、ない方、ご自身の判断でお読みください。

コロナが明ける頃、大人になったリャオジェンは建築家になっています。
事務所はモダンでおしゃれ、費用を掛けていそうな内装、しかもリモート先のクライアントはシャを思い出させるような老年の富裕層ときて、成り上がりの象徴ばかりが並んでいます。
タイライとシャに揺れ動いていた少年期、リャオジェンが選択したものがなんとなく想像させるようです。

クライアントが退出して、アシスタントと会議を続けます。
リャオジェンはクライアントからの質問のフィードバックに答えます。設計図上の非効率な点を指摘されますが、どこか芯をくわない答えばかりのリャオジェン。
すると、アシスタントの一人が(アシスタントが二人というところにもリャオジェンの成功が見て取れます)、リャオジェンが近くの小学校に気遣っていることを指摘します。
ハニカミながら、やんわりと否定して映画は終わります。

この結末の素晴らしさにも感動しました。
シーンの最初、リャオジェンが成功したこと示すことで何となくシャのような他人を足蹴にする人生を選択したことを暗示します。
しかし、最後、小学校を思いやる設計であることを明かし、人のことを思いやるから「負け組」と言われた父タイライの優しさと重ね合わせます。
「知るもんか」、そんな風に人を突き放さなくても上手くいく。こうして映画は幕が降ります。
確かに、その成功までの道のりが描かれていないので、楽観的でハッピーエンドすぎる感じもしますが、ここまでのタイライとリャオジェンのやり取りや関係から、説得力のある結末だと思います。

本当にどれをとっても素晴らしい、としか言えない映画。こんなに称賛しか書くことのない映画はそうそうないと思います。本当に素晴らしかったです。

〈information〉
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