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27作品目 小説「潮騒」(三島由紀夫)
どうも自家焙煎珈琲パイデイアです。「淹れながら思い出したエンタメ」作品目の書き留めでございます。
夏なので、嫌いな作家の好きな小説を改めて書き留めておこうかと思います。
高校生の頃に太宰治を読むようになって、日本の近代文学を片っ端かr読み漁ろうとした大学生時代、はたとページをめくる手を止めてしまった作家がいます。三島由紀夫です。
教科書や便覧にも作品の紹介のページに必ずあるのが、三島由紀夫の「金閣寺」です。
はっきり言って、これは私には面白くなかった。なんというか、個人の内省とはどういうものか、そんな着飾ったようなセリフのようなで語るなよ、と思ったり。
好きなもの、面白いものだけを書き留める、と言うコンセプトなのに、嫌いな話してすいません。本来は嫌いなもの、面白くない物の方が饒舌になるたちに人間なので、こっちが素っちゃ、素です。ちゃんと面白いものの話になるので、ちょっと待ってください。
人生の中で、好奇心が爆裂していて、時間と体力がそれに付き合える時期が、唯一大学生です。
面白いもの、好きなものはもちろんですが、面白くなかったものにこそ、好奇心が向いていきます。
「金閣寺」でいうと、やっぱり世間が三島由紀夫を過大評価しすぎなのか、それとも、私が理解できていないなのか。
案外、後者の方が多かったりします。だからこそ、積読が面白い、ということもあるのですが、それはまた別の話にしますね。
つまり、「金閣寺」が私にとって愚作だったのは、私の理解が及ばなかったからかも、となれば、次にやることは、ひたすら、ひたすら、打たれながら座るように、三島由紀夫を読むことです。
大学の図書館で三島の全集を探して、それはそれは書みました。あらかた読んだと思います。
まあ、どれもそんなに面白くなかったです、正直。
ただ、その全集の中で、私の中で深く残った作品がありまし。それが、今回書き留める「潮騒」です。
初めて読んで以来、夜寝る前に毎日15分読めば、2週間で読めるくらいの中編の手頃さもあり、毎夏読んでいます。
初読の感想、第一声は「なんだ、この原始的な美しさは!」という衝撃でした。
若い男女の純な恋心、未知の海に乗り出す青年の不安と希望、それらを取り巻く架空の島の小さな封建的コミュニティのしがらみ、日本の原風景的漁師街を描き表す三島由紀夫の圧巻のレトリック。
思索を表現するには、わざとらしさを感じ得ない修辞法も、プリミティブで色彩的な風景を表現するのにはピッタリでした。あれこそ、三島文学の真骨頂と言える気がします。
もう何年も繰り返し読んでいますが、読むたびに、新鮮な発見があり、なんだか懐かしい気になります。
懐かしいと言っても、私には経験が一切ない記憶です。私は、こんな記憶を「表象の記憶」と呼んでいます。
実際には経験はないのに、自分の実体験を想起させるフィクションの何か、をさす私が作った言葉です。
物語の、作られたという意味を込めてフィクションの意味の一つは、全く経験したことがないことをトリガーに、自分の経験の何かとリンクしていく、そこに懐かしさや、郷愁のようなものに耽る、というものあると思います。
三島は、新治と初江の困難と成就を書き出しながら、誰にも経験がありそうな、でも、そんな経験はない、なのに、何か懐かしい記憶を想起させる、「表象の記憶」を書き出しているのです。
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