なぜ私は小説が書きたかったのか「希望の塔」編
「私達の塔」と「希望の塔」
以前私は自分の書いた「私達の塔」についての記事を書いた。そこで私は「私達の塔」にはもう一つ結末があると述べている。
”私が好きな結末だったはずなのに、なぜかそれが気に入らなくなってしまったのだ。なぜこんなことが起きたのだろうか、私にはわからない。”
とあるが、今になってわかった。だから私は、「私達の塔」を改変して「希望の塔」としてnoteに投稿した。
バッドエンドとトゥルーエンド
バッドエンドの作品は面白い。なぜなら意外性があるからだ。物語が終わる時、人は最終局面がどうなるかを楽しみにする。「最後はきれいにすっきり終わるだろう」という予想を裏切るバッドエンドは、やられた、と思いながらもインパクトが非常にある。創作でインパクトを与えたい人には、もってこいの技法である。
だが、私は安易なバッドエンドは支持しない。人を殺して終わり、今まで積み上げてきたものぶっこわして終わり、それだけでは真の意味でのカタルシスは得られない。もちろん安易なハッピーエンドも同じである。
読者が求めるのは、トゥルーエンドなのだ。
トゥルーエンドならばハッピーでもバッドでも構わない
私達創作者がすべきなのは、作品を通して何かを伝えることである。そしてそれは往々にして、ラストシーン周辺の演出により誇張される。ここの話運びをしくじると、安易なハッピーエンドやバッドエンドになる。いわゆる「何が伝えたいのかわからない」状態だ。
「私達の塔」を読み返した時、最後のシーンは爽快だった。ゆっくり積み上げたものが、一瞬の気の緩みで崩れてしまう。そんな落差のあるカタルシスを感じうるものだった。しかし、「何が言いたいのか」私はわからなかった。
対して「希望の塔」は、端的に言うと「わかった」。私がこれを書いている時、なぜこの言葉を選んだのか、なぜ彼に、彼女にそうさせたのかがよくわかった。結末はありきたりなものになったけど、そこには伝えたい事があった。
後編-Aは「私達の塔」、後編-Bは「希望の塔」
この2つは是非両方とも読んでいただきたい。どちらが好みなのかは人それぞれだ。読んで自分がなにを思ったか、それが一番重要だ。
それがあなたのトゥルーエンドになる。
個人的には、後編-Bが好きである。