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2021年5月の読書記録

読んだ本をふりかえるnoteです。
先月は連休もあったのでもりだくさんだった。最近、本についての本を読むことが増えている。

目録(17冊)

人類学的観察のすすめ(古谷嘉章)
死んでいない者(滝口悠生)
絶体絶命文芸時評(佐々木敦)
三島由紀夫『金閣寺』(100分de名著)
美しい顔(北条裕子)
目の見えない人は世界をどう見ているのか(伊藤亜紗)
すべての見えない光(アンソニー・ドーア)
オーデュボンの祈り(伊坂幸太郎)
戦争と平和 1・2(トルストイ)
ヤノマミ(国分拓)
地球にちりばめられて(多和田葉子)
辺境図書館(皆川博子)
ことばと vol.3「ことばと音楽」(佐々木敦ほか)
チョンキンマンションのボスは知っている(小川さやか)
翻訳 訳すことのストラテジー(マシュー・レイノルズ)
読書癖 1(池澤夏樹)

文学、文芸批評はちょっと遠い世界。以前から机に積んでいた佐々木敦さんの『絶体絶命文芸時評』を皮切りに、国内の●●賞受賞作というのを数冊読んでみた。滝口悠生『死んでいない者』、北条裕子『美しい顔』はその流れ。前者は図書館でたまたま見つけて、後者は古本屋でたまたま見つけた。頭の中に引っかかったタイトルは、現物の前に立つと存在感をアピールしてくる。

二作とも、テーマや、とくに表現のしかたが自分にとっては目新しく、これが平成の文学か〜などと思う。

平成といえば、先日祖母と電話したときに本の話になり「自分より年配の人が書いた本なら理解できるが、自分より若い年代の人の書いた本はさっぱりわからない」と言われる。芥川賞を受賞した『推し、燃ゆ』はタイトルからして意味不明らしい。私はこの本をまだ読んでいないのでなんら感想を持てていないのだが、祖母の言うことはわかる気がした。

世代がちがってもいい本はいい本だと思われてほしい、というのは感傷なのかもしれない。反証として思いつくのはたとえば…サン=テグジュペリの『人間の土地』がわたしは大好きなのだが、彼は第二次世界大戦中に命を落とした人である。その人の文章が、いまだ直球で私の心に響いてくるのはなぜなんだ。

というようなことを思ったけど、それは作者や訳者の歩み寄りによるところが大きいのではないかと、祖母との会話を通して思った。彼の文章も、おそらく訳者の堀口大學の表現も、平成生まれの自分が読むにあたって敷居の高さはほとんど感じない。それは彼らが、そのときの時代の語り口を意識しすぎなかったからなのかもしれない。

『絶体絶命文芸時評』は、誰かを必要以上に批判することは決してせず、それでいて文芸初心者にもわかりやすくこの世界のプレイヤーを紹介してくれる本だと思う。

その著者が編集責任者をつとめる『ことばと』は、文芸ムックと呼ばれる種類の読み物だ。といいつつ、私はこの種の本を最後まで読み切ったことがほとんどない。今回、新人賞作品を含めて読み通したが、自分のまったく知らない、1ミリも染まったことがない世界だったのでたいへん新鮮だった。まったく理解できなかった作品と、あんまり理解できなかった作品がなぜか印象に残った。

トルストイを少しずつ読んでいる。前回の『アンナ・カレーニナ』に引き続き、図書館で借りた光文社古典新訳文庫。(あのシンプルな一枚絵の表紙が好き)

『戦争と平和』はたしかに戦争と平和の話だが、要は「政治」の話だと思った。戦場でも貴族社会でも結局みんなお金名誉結婚戦功うんぬんかんぬんを考えている。逆に、政治ってなんだろう?とも思う。そういう政治的なことから距離をおいて、自分の生き方や親しい他人への親切や、本当に身近な半径数メートルの物事を考え始める人物がたまに出てきて、世間の温度感とのコントラストが強烈に感じられることがある。

話は変わるが、連休中あまりに暇すぎて、ふだん手をつけないPodcastを聴いていた。その中でも、コクヨ野外学習センターが監修している「働くことの人類学」がおもしろくて、すっかりはまってしまった(きっかけは、サブスクマガジン「STANDART」のメルマガのコラム)。

とくに、中央政府から職業斡旋などのサービスを受けている狩猟採集民が、役所から派遣されてきた役人のことを「ひとつのことしかできない人たち」と揶揄する話は興味深かった。手に職をつけること、自分のスキルを活かせる職業に身をおくことをわたしはポジティブに考えていたが、それがすなわち何かに自分の生活を依存させ、生きるための選択肢を自ら減らすことになる…という発想はもってなかった。

そこから人類学系の本に目がむき、まず家の本棚にあった『ヤノマミ』を読む。Podcastに登場した小川さやかさんの『チョンキンマンションのボスは知っている』を読む。エヴェレットの『ピダハン』も購入した。

自分以外の人類を知ることは、世界を広くする。
自分が資本主義的な基準で恵まれていてよかったとか、そういうことではなく。一日を、まったくちがった思考と習慣で過ごしている人がいるという、それだけで軽くなる荷がある。

わたしは耳で聴くより目で読むほうが好きな質なので、おもしろそうな人の思想はとりあえず本で摂取したいと考える。なので今回はけっこう特別だった。よすぎて、お客さんにも紹介してしまった。

再読したい本

たまにある。

吉本ばなな『アムリタ』『ムーンライト・シャドウ』、サン=テグジュペリ『人間の土地』、宮崎駿『風の谷のナウシカ』漫画版は、もう何度読んだかわからない。

今回の『ヤノマミ』『オーデュボンの祈り』もだいぶ久しぶりの再読。ヤノマミは前に読書感想文も書いた。あらためて、再読したい本は手元に置いておきたいものだと思った。今は本棚のスペースも限られているので本当に好きな本しか置いていないけど、いつか壁一面の本棚のある家に住んでみたい。

古書をさがす

noteに入社して法人noteの運用支援のお仕事をするようになったことの副次的効果として、「出版社の記事がめっちゃ読める」ということがある。この仕事でなくてもフォローしておけば情報は入ってくるので、条件が大きく変わるというわけではないけど、日常的に目にする情報量は以前より段ちがいに増えた。

出版社のアカウントはそれぞれ個性があるし、連載や試し読みの記事も多い。最近は集英社インターナショナルさんのこの連載がめちゃくちゃ好きで、紹介されてる『世界が生まれた朝に』という本がほしくて探しているのだけど、絶版になってるうえ、Amazonの中古本にはけっこうな金額がついていた。

これを機に、日本の古本屋というサイトにも登録してみた。登録すると、お目当ての本が加盟店に入ると通知がくる(らしい)。いつか見つかるといいなと思う。それか再版しないかな。

言語のあわい:『地球にちりばめられて』

ドイツに住みながら、日本語とドイツ語で作品をだしている多和田葉子さんの小説。故国を失った日本人らしき女性が、北欧で独自の言語を操りながら旅をする、そんな話。筆者自身の体験もきっと織り込まれているのだろうと思わせる。表現も話し方も思考も流動的な個性も、ジェンダーや文化とおなじくらい、言語に影響されるものなのだと思う。

my favorite bookstore “箱根本箱”

少し前に、箱根にある「箱根本箱」に一泊してきた。もともと日販の保養所だったのを、外の人も泊まれるようにブックホテルに改装したお宿である。ブックディレクターがえらんだ本をベースに、およそ1.2万冊の蔵書があるそう。宿泊施設だけど、広義の本屋ということで…。ちなみに、置いてある本は現品で購入できる。

かねがね泊まりたいと思っていた。最近あまりに外に出ていなかったからか結構ストレスがたまっており、(同時に外をうろつくタイプの旅行もできず、)思い出してほとんどためらいもなく予約した。

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深夜2時半まで館内であちこち移動しながら(本棚の裏がわの小部屋、書斎みたいなスペース、部屋のベッドなど)本を読み、5時にカーテン全開の部屋で目覚めてからは、部屋の露天風呂につかりながら読んだ。上の写真は5時台の、まだ誰もいないロビーの様子。コーヒーメーカーのコーヒーがおいしくて無限に飲めた。

印象深かったのはアンナ・カヴァンの『氷』。皆川博子『辺境図書館』で知った暗い小説。『辺境図書館』は作者の思い出の小説を紹介する本で、最初あまりぴんとこなかったんだけど、読み進めるうちに気になる小説が次々とでてきたので、読んでよかった。『氷』はまだ最後までいっていない。ひたひたと迫ってくる氷と人間の冷たさの描写がすごくてほんとこわかった。

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そのほか、本箱で読んだのは『翻訳 訳すことのストラテジー』と『読書癖 1』。前者は、翻訳についての本の翻訳本ということで二重にややこしいことになっている(訳者がすごい)。聖書に関する話などはおもしろかったし、あらゆるコミュニケーションは翻訳である、という言葉にも納得。

箱根本箱にはいたるところに「わたしの選書」というコーナーがある。いろいろな人がテーマに合わせて好きな本を紹介するというもので、池澤夏樹『読書癖』は好きな作家のコーナーで紹介されていた本。本を紹介する本を、別の人の紹介で読む、という入れ子構造。

書かれたのが1991年なので、ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』が「すごいミステリー」として紹介されていたりして、時代をかんじる。おもしろかった部分を引用。

最近、文学作品の朗読をそのまま収めたカセットがたくさん出版され、売れてもいるらしい。世間で何が流行ろうとこちらは知ったことではないが、自分の書いたものをカセットにするのは気が進まない。カニは自分で苦労してバラすからうまいので、あれを身だけにして皿に盛られたのではがっかりする。見当違いの親切だと思うのだが、当今の読書人はカニの食べ方も知らないのか。

迷ったあげくに買ったのは、たまたま奥まった場所で見つけてタイトルに心をつかまれたジョシュア・ハマー『アルカイダから古文書を守った図書館員』と、石垣りんの詩集。

なにしろ読みたい本が多すぎる。『アルカイダ〜』はもう読み終わってしまい、本当にすばらしい本だったのだけど、こんなふうに出会わなかったら一生読めない本がいったい何冊あるのだろう。箱根本箱に何泊しても、読めない本はけっして読めない。

一泊ではとうてい読書欲を消化しきれず(当たり前だ)、温泉にも5回入ったけど足りなかったので、また行きたい。ご飯もワインもおいしかったです。一人もいいけど、気のおけない人たちと連泊するのもよさそう。

この状況が落ち着いたら、また旅にでたい。

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