なぜ私は「なぜ私は理を考えるのか」を考えるのか ①~④編
「理について考える」を考える
ここ最近「理」についての考察を行っている。そこで頂いたコメントと、思ったことについてまとめたいと思う。
コメント返し
頂いたコメントに返信いたします。
こちらについては私の記載する順番で誤解を引き起こしてしまったと思います。おっしゃる通り、感情には「理」があるので「正しい」という理解で問題ないと思います。感情が”心”に”ある”ことに「理」があり、「正しい」という内容です。
こちらに関してもおっしゃる通りと思います。バイアスになりうる要因に対しての感情にも「理」は存在します。ここも私の主張の定義不足でした。因数分解のくだりに関しては、自分の知覚した感情から「理」を取り出す方法についてお話しています。今回は「ケーキが置かれた」という事象に関しての感情の因数分解を試みた結果、双方の事象に等しく存在する「ケーキが置かれた」ことに関する感情の項のみに焦点を当てたため、それ以外を無視するとしたわけです。
仮に「嫌な人の前にケーキが置かれた」と「嫌な人の前に生ゴミが置かれた」の2つの事象をわかりやすく分解する場合には、「嫌な人の前に」の項を分解し「理」を取り出す必要があります。
出来事の知覚に関しては非常に難しいと思います。知覚する、つまり五感などで感じるというのは非常に曖昧です。そもそも五感などは外的刺激を身体が様々な工夫をして神経刺激に変換したものです。私達の「視ている」は、錐体細胞の電位の上昇に変換されています。またいわゆるクオリアに左右される場合もあったりします。そこももっと考察すれば普遍的な理解にたどり着くかもしれませんが、今回は事象を前にした「感情」という点にしぼってお話させて頂きました。
いずれ事象そのものから「理」を取り出すことについてもお話できれば嬉しいです。
ここも誤解を生む書き方をしてしまい申し訳ありませんでした。正しくは「すべての感情には「理」が内包されているが、今感じた感情がそのまま「理」と呼べる訳では無い。何故ならば感情の中には各事象に対する感情が複数存在するため、そのままでは純粋な「理」たり得ないからである」です。ここは次回の⑤でもお話させていただければと思います。
とても興味深い考察をいただけたと思います。感情の正負は基本的には考慮しないでいました。ただ思いついたのは、「-7」という事象を(-1)×(1)×(7)という項に因数分解することになり、(-1)を数字ではなく(正負の概念から外れた)一つの記号として捉えているということなのかもしれません。(伝わるでしょうか……)
vantileさん、長文の考察とコメントを頂きありがとうございました。書き方によって語弊が生まれたりしてしまい大変申し訳ありません。以後もよりよい考察の参考にさせていただきます。
本当は「理」について考えていたら考えたことについて書こうと思っていましたが、2000字を超えてしまったのでここまでにしたいと思います。
今後も読者の方からの質問やご指摘をうけつけております。お互いがより良く理解を深められるよう、どしどしコメントくださいませ。
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