【連載小説・前篇】感動とはどういうものかしら
「先輩と一緒に映画を見に行くなんて初めてですね。来てくれて嬉しいです」
「そうね、これまでそんなことする理由なんてなかったものね。今回みたいな状況じゃなきゃ、あなたと一緒に来ようなんて思わなかったもの」
ここはとある映画館。俺は先輩と一緒だった。偶然にも映画の前売りチケットが二枚手に入ったことにしてダメ元で誘って見た所、彼女からOKの返事をもらい今ここにいる。
先輩後輩という差はあれど同年代男女という状況に少しワクワクはしていたが、肝心の先輩のトーンは相変わらずだった。
「ひどいですね先輩。俺と一緒なんだから少し楽しそうにしましょうよ」「あなたと一緒で楽しいって思ったことはないし、今後思うことも無いと思ってたわ。これからあなたがそう思わせてくれるのかしら」
いつもの無感情かつ淡々とした毒舌が光る。
「ええ、もちろん楽しませますよ! じゃ、行きましょ」
無理してでも盛り上げようとオーバーにリアクションをしてみせる。心の中の自分が何をやっているんだ、と問いかけてくるが、そういうのは気にしても仕方がないので無視をする。
「ええ、行きましょう。ちなみに今日は何の映画を見るのかしら。私それを聞くのを失念してたわね」
「今日見るのは『アンドロイド・ヒューマン』ってやつですよ。内容はアンドロイドと人間の友情の話です。」
「……あらそうなの。なんだか現代らしい内容ね。流行ってるのかしら」
アンドロイドが生み出されて長い年月が経ち、最近こういった人間との友情や愛情みたいな内容の作品が増えている。漫画、小説、映画とあげればキリがないが、内容はやはりその主人とペットという主従関係を超えてでも伝えたいものがある、みたいな内容が多い気がする。
「だったら私のペットにも一緒に見せた方が良いのかしらね」
「いや、それは……ペットは映画館に入れないからやめておきましょう」
それに今ここに来たら俺と先輩の邪魔をされてしまう。それはなんとしても避けなければならない。
「ああ、それもそうね。じゃあやめておきましょう」
納得していただいたようで胸をなでおろす。ここは最新の映画果敢なので、実は一人だけなら世話係として同伴可能なのだが、それは黙っておこう。
「で、ジャンルは何かしら」
「ジャンルですか? 詳しくは俺も見たわけじゃないからわからないですけど、内容は感動するってかなりの評判らしいですよ。皆がそう言ってましたし」
「感動ね……」
先輩はそう呟く。
「ねえ、まだ上映まで時間はあるかしら」
時計を見る。まだ上映には三十分くらいありそうだ。俺の悪い癖で、予定の時間に余裕を持ちすぎて集合にしてしまうのだ。普段はそれで慌ててしまうが、今日は、それでも困らないプランを考えてきてある。
「時間ですか? 多少ならありますけど、なんかお店とか入ったりしますか?」
「ええ、じゃあそこのカフェにしましょう」
彼女の指差す先には、映画館に併設されているカフェがあった。
「そんな所じゃなくてもいいですよ。もっとおしゃれなとことか、なんなら値段が高いところでも」
こうなることを見越して、今日はだいぶ懐が温かい。先輩をエスコートできるだけの余裕はあるのだ。
「いえ、そこにしましょう。そんなに長くならない話だから」
そう言って先輩は先に行ってしまった。何かどうしても話したいことがあるのだろうか。今日の先輩はいつも通りの無表情で無感情で、でも自由奔放で。そんなところに俺は惹かれていた。
話、と言っていたけど何のことかはわからない。いつも先輩は必要のないときは具体的なことは言わない。でも俺はついていくしかない。
必ず彼女の心を動かすために。
カウンターで飲み物を受け取り、先輩の目の間に置く。せめてもの見栄で、俺のおごりだ。
「せめてもの見栄ってことね。ありがとう」
「……図星です」
見透かしたような眼こちらを窺う先輩の対面に座る。真正面から見る顔はやっぱり無表情で、いつもと変わりはない。
「で、話ですよね。何でも言ってくださいよ。今日の俺の装飾とかですか? 変ですか」
「違う。あなたの装飾なんてどうでもいいわ」
きっぱりと言い切られる。今日は折角なのでオシャレでもないけど気合の入った装飾をしてきたのだ。俺の普段と違うところはそれだけなので、これが原因でなければなにが問題なのだろう。
「じゃあ映画のチョイスとかですか? そりゃ、確かに俺のセンスは悪いのかもしれないですけど」
「チョイス、といえばそうかもしれないわね」
先輩は不思議そうなトーンでそう言う。
「ねえ、あなた何故この映画を見ようと思ったの?」
「何故? って言われても難しいですねー……」
正直に言うと別に内容が良いと思ったわけでもないし、誰かお気に入りの俳優が出ているわけでもない。
ただこれを先輩と見たかったから。そんな恥ずかしいことは言えない。
「例えばこの映画が話題だから、感動するからとか理由があるでしょう。何なのかしら」
「特に理由はないですけど。偶然もらっただけなんで」
そう、それが最初の設定だからだ。そう誤魔化すより仕方がない。
「あらそう。ならよかったわ」
意外なことに、中身のない俺の返答に納得してくれたようだ。
「じゃあ特にこれから見る映画に何の思い入れもないあなたに聞かせて欲しいことがあるんだけれど」
「はい、なんでしょう」
「なんで皆は感動する映画を見るんですかね」
突拍子もない話だった。
「なんで、ですか。考えてみたこと無いっすけど」
「でしょうね。でも今考えてみて」
「うーん。まあ感動したいからじゃないですか」
考えながら俺は言う。
「そういう宣伝を聞いたこともあるし、感動映画の売りってそもそも感動だしって思うんですけど」
「感動する、って言われて感動するのか、なら見に行こうってなるのかしら。なんかそれだけ抽出するとだいぶアホっぽいわね」
「まあ、たしかに」
精一杯の笑顔で相槌をうつ。先輩が何を言いたいのかは未だにわからないが、正直な所予想はついてきた。
「先輩は感動したくないんですか?」
「私は……感動したいとは思うわ。でもそれが押し付けられる感動に伴う感動ならそんなのゴメンだわ。それは本当の意味での感動じゃないでしょう、きっと。自分の心で発見して、心が動かされて初めて感動なんじゃないかしら」
先輩はひとつひとつ確かめるように言葉を紡いだ。顔は無表情のままだ。そうだ、俺はそもそも彼女の表情が、感情が変わったところを見たことがない。
んんっ、と先輩は咳払いをした。
「あらごめんなさい。たくさんお話したせいか、なんだか滑らかに喋れなくなってきちゃって」
「普段からあんまり喋らないですもんね。潤滑油がたりないんじゃないですかー、なんつって」
こんな冗談を言って笑っても胡散臭いだけだ。でもきっと彼女感情は何も動かされないのだろう。それでもいい。俺が彼女をここに連れてきた本当の理由は俺のためでもあるのと同時に彼女のためでもあるのだから。
「あ、そろそろ時間ですね。先輩行きましょう」
「そう。じゃあ行きましょうか。これから見る映画で私は感動できるのかしらね」
「ええ。きっとできますよ」
やっぱり先輩は先に席を立って行ってしまった。残ってしまった飲み物を飲み干して、俺も続いて席を立つ。
「先輩待ってくださいよ。チケット持ってないでしょ」
「そういえばそうね。早く来てもらえるかしら」
「はいはい。今行きますよ」
こんなやり取りをしている俺達は、傍から見たらカップルに見えるのだろうか。
シアターに向かう道すがら、そんなことを考えたのだった。