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世界中の母へ。

オンラインコーチング
初受講
納得いかない
合点できない

「どのコーチも
同じ解釈だよ」
促されても

ただの
「洗脳」にしか
感じない

ヒーリング受けたときも
同じだったが

『個人』が
『自身の幸福のため』に
『このような思想です』
ということなら
納得する

幸福感は個人で
違うだろうから
仕方ない

しかし
受講生徒にむかい
「教え」として
「学ばせた」ことは

自分の幸せのために
自身が幸せになるために

「話しの通じない相手とは
距離を置きましょう」

「おかしな言動行動は
見て見ぬふりしましょう」

「気持ちが伝わらない人は
無視し関わらないこと」

などなど
すべてメモしたが
惨憺たる
浅はかな考え
嘆かわしい

愚かさに
泣けてくる

というか
この受講を体験するのに
お金を支払ってくれた
親族に詫びたい


無論
相手が何やら
怪しい
犯罪者や変質者なら
離れるのは
理解できる

しかし
安に
「話の通じない相手」
これは誰にでも
何人だってまわりに
存在する

いちいち距離置いてたら
自分が社会から孤立します



「気持ちが伝わらない相手」
これなんぞ
恋愛の時には
好きな人には
なかなか気持ちが
伝わらぬものだ

無視して関わらないなんて
自分の考えだけが
正しいわけでもない
自分自身に
間違いだってある
誰もが間違ったり
謝ったりしながら
人と関わること
無視するだなんて
まさしく何様だ

何よりも
おかしな行動を
「見て見ぬふり」
という
無かったことに
することが
「幸福」になることか?

オンラインコーチングは
90分だった
人気の講師で
SNSフォロワーも
5万人いる

ひとり
数万円の高級な
カリキュラム

ボクは続けて
受講する気が無い
むしろクーリングオフ
問合せ中だ

具体的には

人の不幸のうえに
幸福はなりたたない

ボクはそう考えてる
誰かを犠牲にして
見殺しにして
自分だけの幸せの追求して
幸福になんてならない

人それぞれ
考え方は違うとは思うが
今回のコーチングで
学んだことは

要するに
自身の幸福のために

人と

距離をおき
見て見ぬふりし
無視し関わらない
なかったことに

これが
コーチングの
中身だ

その場しのぎ
そんな人間関係で
自身が幸福に
なれるはずはない

相手は人間だ
使い捨ての
手拭きじゃない
面倒臭いから
「切り捨てる」

確かに
そうしたい場合も
永い人生には
あると思う

しかし
多くの子供達へ
「教える」ことが
「切り捨てる」で
あってはならない

それは
「難を逃れるため」
そのような議論もなされた

逃れても
難は繰り返す
困難のない
人生は無い

先生と呼ばれる
ひとに教えをする人が
「逃げ」の一手のみだけ
教える

これは「洗脳」だ
そう感じた

夢も希望もない
力もでない

もがいても
ムダですから
ムダな努力は
ヤメマショウ
などと教壇で講義する

ボクは不愉快でしかなく
つまらない受講だった

ボクが尊敬する
世界中のお母さん

我が子に
教えたいことは
何ですか?

話しが通じない人とは
距離を置くことですか?

人は人でしか
磨けない
人は人と切磋琢磨し
成長する

ケンカもある
口論もする
議論もあり
異論もある
我慢もする
耐える日もある
泣けることもある
悲しいときをむかえ

だから
喜びがあり
楽しくて
成長でき
理解し合い
人と結ばれてゆく

我が子に
目の前の人のこと
「見て見ぬふりしなさい」
そんなこと
教えますか?

何かあれば
無視して関わらない
その集団と群れても

自身に何かあれば
排除される

虚しいひとの
群れにいて
息を吸うだけの
暮らしですか?
もはや
「暮らし」ではなく
「孤独」です

ヤングケアラー
と呼ばれたボク

介護を通し
学んだことは
「人間と人間の関り」

「ひとの繋がり」

集団であっても
それぞれ様々な個性

大切なことは
互いに互いが
相手を「尊敬」しあう

ケンカになってもいい
互いが相手を想い合い
そうなるなら
やがて理解し合う

友達でも
親子でも
そういうことが
繰り返される

「そんなこと辞めなよ」
「ダメだよ危ない」
「おかしいよ?」
「うるせー」
互いが愛情や友情の中
繰り返し
傷つきながら
育まれる「愛」は
無償で

とても面倒くさく
時には疲れる

人と人は繋がって
強く優しく逞しく
どんどん繋がって

共に泣き
共に笑い
共に時を過ごす

よきライバル
よき仲間
よき友達
よき恋人
よき家族

人として
生きる楽しみ
それは
それぞれ個々に
違えど繋がり
悩んだり
励ましたり

そいうことが
平和にも
繋がるよね

ねえ
お母さんたち

どう思う?

子供がいないから
わかんない?

じゃあ
キミの親や保護者は
キミに孤独になって
欲しいかな?


どうもよくわかんないなって?

想像してみてよ

世界で戦争してる
どっちが悪い?

攻撃したほうが
悪い?

その首謀者は
なぜ攻撃するんだろ?

攻撃するまえに
相談する人
いなかったのかな?

止めてくれる
友人はいなかったのかな

その首謀者が
我が子ならどんな思いかな

その首謀者が自分の親なら
どんな思いかな

誰かが関わってくれてたら
誰かが理解できるまで
説得してくれたら

状況は
変わっていた

独裁者って
孤独だよね

優秀な頭脳の持ち主も
孤独には敵わないってことだ
孤立すると狂暴化する

精神力蝕まれ
人の持つ本能から
狂気してく

ねえ
お母さん

ボクが間違ってるなら
叱って欲しい

ボクは悩んでる人
見つけたら
話をとことん聞くよ
聞きベタだから
ちぐはぐの激励しか
できなくても

困ってる人いたら
助けずにはいられないんだ

話しが伝わらないなら
伝わるまでとことん話す

お釈迦様を見習うよ
わかるように
例えばなしを
何度も繰り返し

置き去りにしないよ
関わらないなんて
そんな惨い事
ボクにはできない

見て見ぬふりはできない
できないんだ

だから
間違ってたら
叱って欲しいよ

ボクはいまも
覚えてる
虐待された日々
乳幼児期だから
覚えてないでしょ
口々に云われるが
ハッキリ覚えてる

ベルトで鞭のように
叩かれ
公園で蹴られた
大声で怒鳴り暴言吐かれ
威嚇された

たくさんのひとが
見てた

見て見ぬふりされた

ボクは人々の目を
忘れない

関わらないように
公園から逃げ帰る
多くの人々

「たすけてください」
声上げて泣いた

たくさんのひとに
無視された

無かったことに
された

ボクの皮膚が裂けて
血が飛び散るまで
継母を止める人はいなかった

我先に逃げて
見なかったことに
気づかなかったことに
関わらないようにしてた

最初の1打目に
「叩かない方がいいわ」
そう云った声がした

ボクの命綱ような声だった

継母は「しつけなの!」
叫んでいた

話しが通じないから
関わらないようにした
その近所のおばさんは
もう忘れたかな?
それとも今も
心に残る事件になってるかな?

ボクがあの時の
おばさんなら
死ぬまで後悔する

何が正しいかなんて
わかんないね
お母さん

人の心は


それでもね
ボクは世界中の子供達と
繋がって協力したい

誰かの助けになれるなら
ボクは飛び込むよ

ボクの病が
進行して命が尽きても
障がいが酷くなって
植物人間になっても

ボクはあきらめない
いっぽも退かない
何万回虐待されても

亡き母を選び
愛してくれた
父が好きだから
大好きだから

父が後に選んだ
継母を憎まない恨まない
理解しようと思う

継母を信じたい

だからボクから
会いに行く

父も継母も法律手続き上
ボクには
自分から会いにこれない

ボクを保護する
親族には
「懲りないね」と
呆れられるが

少なくとも
ボクの半分は
父でできている

コーチングで感じたけど
人々を
「分離」させる
「分断」することを
学ばせることは
「洗脳」でしかない

人と人は繋がり
支え合い励まし合い
こころを結びつかせること
これが大切なんだと
考える

世界中のお母さん
ボク間違ってたら
叱って欲しい

大切なひとが
そんなふうに
多くの人から
つまはじきにされても

みんな平気じゃない
そう信じるよ

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