生きる。
~ヤングケアラーと呼ばれて~
生まれた時に
母と死別して
障がいがある
長く生きても
成人はしないと
余命宣告され
ボクはわからないながら
何度も自殺を試みた
死に方もわからず
それはとても辛かった
父の慈悲の心は
再婚して
ボクに新しい継母を
与えることだったが
継母に
虐待され
死ぬこともできず
保護され
施設を転々とした
実母の親族が
ある日その事実を知り
迎えに来た
法律上の
様々な手続きや
問題はあった
ただ親族の状況は
まだ海外に出てない
叔父や叔母の
それぞれの家
海外には移住しないと
決めている
おじいちゃまやおばあちゃまの
ご自宅を週替わりに
お泊りしながら
育てていただいた
定住先は決まってても
自宅内に人が
仕事で留守だったり
するため
親族の皆さんで
ゆったりと
保護していただいてる
遠くても自転車で
行ける距離だから
最悪の場合は
歩いて行ける
しかしながら
従妹などがいる世帯は
日本の学力レベルが
低くなっていることを
気にして海外へと
行ってしまってるので
名古屋市に残ってる
皆さんは高齢だったり
介助が必要だったり
元気な親族は
みな医療従事しているので
なかなか
手がまわっていかない
ボクはこの年齢にして
親族の90歳代また
80歳代
皆さんの看取りや
介護をすることを
手伝ってきた
70歳代は元気な
おばあちゃまと
横たわってる
おばあちゃまと在る
おじいちゃまたちも同じだ
一緒に病院へついて行ったり
車イスをボクが
押したりもする
足の悪いボクにとって
支え歩きのようで
訓練してるみたいだ
病院代金を支払うように
目の前で財布を渡され
目の前でお金を出して
支払ってるのに
認知症がある
おじいちゃまは
ボクに
「お金をとったでしょ?
返しなさい」という
おばあちゃまは
一緒に先生の診察室まで
入ったのに
出た瞬間
「あなた誰?!
キャー助けて!」と
叫ばれる
どちらも
メインで介護してる
叔父さまや叔母さまが
駐車場から
車を車イスの
昇降場所に移動する時や
トイレに行ってるすきや
ボクやおばあちゃまに
飲み物を買いに行ったすきだ
泣きそうな気持になる
病院の待合などでは
看護師さんや医師に
遭遇するので
やっかいなことには
ならないで済む
しかし
自宅では
叔父さまも叔母さまも
例えばお風呂洗って
おばあちゃまを入れようとする
準備などで少し時間がかかる
ボクと2人
おとなしくしててくれると
ありがたいけど
ひざ掛けを
おじいちゃまが
投げつけて
車イスから降り始める
ボクが声をかけても
聞こえてない
叔母さまや叔父さまを
呼びに行きたくても
行ってる
間に車イスから
落ちるかもとか
あれこれ心配になる
叔母さまが買い忘れを
コンビニへ「ちょっと」
買い足しに出ると
おじいちゃまが
ボクに
台所に行くように云う
砂糖をとるように云われ
真に受けて渡すと
手でかいだし
口へ入れ始める
慌てて取り上げようと
したら砂糖の瓶を床に
ぶちまけた
どうしたらいいのか
ボクは泣かないように
我慢して
おじいちゃまをタオルで
拭いて食卓へ座らせようと
手を引くが
床の砂糖瓶めがけて
オシッコをし始める
「おじいちゃま
トイレじゃないよ」
涙声になるけど
泣いたらダメだ
おじいちゃまは
55歳の時
ゴルフの最中転んでから
認知症になりはじめた
詳細はわからないけど
おじいちゃまは
ちゃんと理解してるときも
たくさんある
おばあちゃまは
健康診断で胆のうガンの
疑いがあると
胃カメラで検査のさなか
胃カメラが食道を傷つけ
喉のまわりから
空気が入り
半年間ICUにいて
記憶は無い
目をあけ
口をパクパクするが
声は無い
その状態だった
空気送還器具を外すと
喉に穴があいたまま
しかし他の人のように
器具は装着しない
耳の穴みたいに
喉に穴があいてる
意識を取り戻し
声も出る
変な声になったと
わんわん泣く
おばあちゃまは
お歌が上手で
音楽が趣味だ
当然だが
精神的なショックで
眠れなくなる日々
そのおばあちゃまを
笑顔にするため
ケンカする日もあるが
ボクは毎日
ICUにいるときから
毎日10分話す
この2年続けてる
今ではすっかり元気になった
恐ろしいことに
末期ガンかもしれないです
そう云われた
胆のうガンは跡形もなく
消え失せて担当の複数の
医師を驚愕させた
2年といえば
2年前亡くなった
おじいちゃまは60歳
糖尿病になっていた
気づかなかった
足を切り落とすかと
なったとき
脳梗塞で倒れた
このおじいちゃまは
タバコを若い頃から
嗜んでいて
辞められなかった
血管がボロボロで
それでもなんとか
苦しみながら生きていた
苦労の人生の
おじいちゃまだった
自分の兄弟が
栄養失調で亡くなったりして
子供の頃から
辛い体験をして
残った兄弟の面倒をみたり
とても親分肌なおじいちゃま
医者嫌いで
健康診断をパスしてきた
あと5年働くか
定年で仕事引退するか
そんなこと話してたらしい
肺がタバコのせいで
ダメだった
最後は溺れるように
亡くなった
目の前の空気が
吸えなくなってた
金魚みたいに
パクパクしてた
ボクは叫んでた
「じいちゃま苦しいね
ごめんね
ごめんね
空気吸えないんだよね
じいちゃま!!」
酸素マスクの
空気も吸えなくなってた
残酷だった
人のために
多くの人のために
尽力つくした人生の人だった
大尊敬のおじいちゃま
おじいちゃまの
下の世話したとき
おじいちゃまが云った
「そんなことまで
パコはしなくていい
先生を呼んでくれ
先生に早く殺してくれって」
そういった
「孫や玄孫に
下の世話頼むなら
死なせてほしい」
そういった
おじいちゃまは
糖尿病が原因だったので
一切糖分が禁止されてた
ボクはこっそり
ボクの掌に
おさまるぐらいの
小さなお饅頭を
握っておじいちゃまに
内緒で渡した
「この世のものとは
思えない食べもんだ!
亡くなった妹に
一口分けてやりたかった」
そういった
ボクはだから
いつもコソコソしてた
介護する
叔母さまや叔父さまに
付き添うたび
隠してた掌の中の
和菓子を
おじいちゃまが云った
「ありがとうございます
あなたは名前は?
もしかして神様ですか?」
じいちゃま!
パコだよ!!
「あぁパコちゃん
ありがとうなー
こんなおいしいもの
世の中にあるんだね」
ボクは嗚咽して
泣きそうだった
「じ、じいちゃま
それ、いつも
じいちゃまが食べてた
きよめ餅だがね」
「そうなの?
そんな餅食べたことない」
「おいしい?」
「おいしいです
これは何という
食べ物ですか?
静養してる妹に
持ち帰っていいですか?」
「じいちゃま。・・・。」
泣くと
叔父さまや
叔母さまに
見つかってしまう
堪えて堪えて
涙が顔から
噴き出すほど
堪えて
そんな日は
永く無かった
あの夏の日を忘れない
介護負担割合の書類
福祉給付金資格者証
後期高齢者医療保険証
介護保険被保険者証
後期高齢者医療限度額適用認定証
どれもこれも
更新が来ると
ボクが古いのと入れ替える
無くすといけないから
本人と一緒に確認したりする
介護5のおばあちゃまの
車イスを押して買いもに
ボクも足が悪いので
近くに行った
すぐ帰れる予定だった
突然降り出した雨に
打たれ傘も無く
ずぶ濡れになって
押して歩いた
ボクの着ていた
おばあちゃまの手作りの
ワンピースの腰ひもが
車輪に巻き付いて
ボクは倒れ込んだ
すると車イスがバックして
ボクが下敷きになる
ギャアア痛いいいい
おばあちゃまは仰天して
大声で叫ぶが
土砂降りの雨で聴こえない
たまたま通りかかった
自動車が止まり
助けに来て下さった
ところが
ボクの服が巻き付いて
ボクは立ち上がれない
助けて下さったかたに
救急車を呼んでいただき
ボクもおばあちゃまも
ともかく
病院で診察も受けた
ボクは悪いほうの足を
骨折していた
おばあちゃまも
ボクを助けようと
車イスから降りようと
したので
大腿骨を骨折してた
これは全く
ボクの責任だ
考えが甘かった
おばあちゃまは
この骨折が
原因で足にボルトを
入れることに
ボクはその時から
お洋服を状況で
選択するように
なった
生きるって
命がけだ
実感してる
親族のおかげで
ボクはお料理も
挑戦できた
叔母さまたちのような
おいしいのは
まだできない
そして誰もが
病気になる
そして死が訪れる
その時まで
何をするか
どう生きるか
ボクは平和を誓う
ひとりでも多くの人が
幸せになりますように
まだまだ
何もできないけど
人の役にたてる
自分になりたい
ヤングケアラーなんて
ひとことで済まされるけど
本当に笑えない
地獄のような時間を
過ごす
介護や介助は本当に
大変だ
そう考えると
きっと人を育成する
育児だってとても
重労働だ
ボクはいくつもの智慧を
得たんだと考える
誰かの役にたてるように
生きたい
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読了ありがとうございます 世界の片隅にいるキミに届くよう ボクの想いが次から次へと伝播していくこと願う 昨年のサポートは書籍と寄付に使用しています 心から感謝いたします たくさんのサポートありがとうございました