小麦を蒔く その3
ダダダダダッとけたたましい機械音が住宅街に鳴り響く。耕運機に乗って畑にやってきた父は、なぜかちょっと得意気、なんならドヤ顔。特殊な乗り物を運転するという行為とは、どこかテンションが上がるものなのか。
耕運機は畑から離れた納屋にあるので、父が取りに行ってくれていた。小麦を蒔くにあたり実際の作業は、いつの間にか父が総監督になり、以下の手順を決めた。
1. 鉄棒(テントのペグのようなもの)を畑の端に刺し、縄を引き反対側にも刺す。条(作物を植える列)の間隔を決めて行く。
2. ラインに沿って牛糞と苦土石灰、化成肥料を蒔く
3. 耕運機をかける(肥料と土がよく混ざる)
4. 縄ずり(縄で土に種を植える目安の線を引く)
5. 種まき
6. 砂かけ(種の上に土を軽くかける)
何もないただの土の上に線を引く。これは見方によっては美しい作業で、ランド・アートの代表的作家で自然と人間との関係をテーマにしたリチャード・ロングの作品のようだと連想した。
ところが条間(作物の列の間隔)を決めるのに、父曰く、
「道路の淵に設置されている歩車道境界ブロックは大体長さが60センチだ。これを目安にするといい」。
私の妄想に反比例して即物的すぎる父の指導に、やや肩透かしを食らったような気になる。あの歩道の縁に鎮座するどこにでもあるあのブロック。山野ではブロックはないので不可能だが、これも都市農業だからこそ使える小技だ。でも昔ながらの知恵を使った測り方とか素朴な道具とかを使っていて欲しかったという私の勝手な希望は口に出すと間違いなく怒られるからやめておこう。いま目の前にあるものを使う、そのやり方は嫌いではなく、むしろ好きだ。今まで生きてきて道端のブロックの長さなんて気にしたこともなかった。私はこの日以来、歩くときにはいつも車歩道ブロックに目がいくようになってしまった。確かにどこを歩いても都会も田舎も大体みんな車歩道ブロックは60センチなのだ。
牛糞は今時のものは乾燥しているので全く臭わない。黒っぽい土の色よりも少し明るいキャラメル色の粉末はサラサラだ。年季の入ったプラスチックのお弁当箱を、小分け用の肥料入れとして使えと父はいう。牛糞がまき終わり、次の苦土石灰をお弁当箱に入れてパラパラっとまいていたら父総監督から「手ですくってやる!」と喝が入る。喝の入るポイントがいまいちよくわからないが、とりあえず言う通りにする。
肥料を蒔き終わって、次は耕運機だ。耕運機をかけると、土はフワフワのフカフカになり、先ほど蒔いた肥料が土とよく混ざって良いという。フカフカなのでひざ下10センチくらいまで深く土に脚が埋まる。「縄ずり」という縄をズリズリ引っ張った跡で土に線をつける作業をし、そのラインに沿って種を蒔く。麦をどれくらいの量で蒔いたらいいのかは父にもよくわからず、なんとなくの勘でやってみる。こんなもんかな、と何列か蒔いてみると父は
「…多いな」
とボソッとつぶやく。
「カラスに食べられる分も想定に入れてるから多めなんだよ」
と応戦する私。
最後に蒔いた種の上に軽く土をかける。これは私も過去に別の植物で失敗したことがあるのでわかるのだが、土はかけすぎると種が発芽できなくなる。ただ種がむき出しの状態だと鳩やカラスに食べられてしまう。かけすぎずかけなさすぎず、がちょうどいい塩梅なのだ。この立鎌ホー(鎌の名前。ホーってなに?と思い調べたところ英語の「hoe:鍬」が由来)でちょっとだけ土をかける、という作業が地味にキツい。
作業は助太刀に来た夫も加えて3人で行ったので、予定より早く完了した。お昼に3人で食べた某チェーン店のテイクアウトのカレーはなんだか妙に美味しかった。
無事に種蒔きは終わったけれど、本当のところは小麦を自然農法で作ってみたかった。今回の小麦はいってみれば有機肥料プラス化成肥料無農薬栽培(現時点では)だ。農法にも種類がある。今の日本で広く普及している農薬と化成肥料と機械を使う慣行農法、有機肥料(牛糞など)を使う有機農法、そして自然農法とは、農薬や肥料を使わず耕さない、自然の営みと土の中の微生物を活かす農法だ。ただ放置するわけではなく、適宜畑の様子を観察しながら最低限の手を入れる。巷では「ほったらかし農法」なんて言われるほどだが、実際は何もしないわけではない。粘土団子で有名な福岡正信さんが提唱した。
自然農法でやってみたいけれど、熟考した結果、今回は父の指導もあるし慣行農法で小麦を作ることにした。結局、父の畑を借りるのに、父のやっている農業を否定することになるからだ。土の中の微生物も現時点ではそれほど活発ではないだろう。麦を作ると土が良くなる、という話もよく聞くことだし、まずは小麦を収穫してから試してみてもいいな、と思ったからだ。
でも、記憶を辿ると祖父は落ち葉から堆肥を作り土作りをしていた。農薬も全く使わないわけではなかったけれど、農法としては有機農法であるし必要以上に手を加えず土の中の微生物を活かすところは自然農法に近いやり方だったのではないか。
祖父が落葉集めをしていた雑木林は玉川上水のそばにあり、私は学校から帰るときに祖父の姿をよく見かけた。大人2人くらいは入れそうな大きな籠を背負って、軽い足取りでホイホイっと熊手で落ち葉をかき集める祖父の作業着と地下足袋、農協のキャップを被った姿は、まるでそこらへんにいる雀や山鳩のように、雑木林のイエローからブラウンのグラデーションを織りなす風景にすっかりと溶け込んでいた。
そしてこの腐葉土にはたくさんのカブト虫の幼虫が住み着く。八百屋やスーパーで初夏になるとカブト虫の幼虫を虫かごに入れて売っているのを見ては不思議な気持ちになっていたっけ。あの腐葉土の中にいっぱいいる幼虫って売り物なの…?と。
そんな雑木林の落ち葉が恋しくなり、玉川上水沿いを歩いてみる。秋の玉川上水は黄金色に輝き、カサカササクサクと落ち葉を踏みしめる音が耳に心地よい。上水沿いの住民の皆さんは落ち葉掃除に忙しく、どこの家の前にも大きなビニール袋いっぱいの落ち葉が集められている。隣近所同士で「うちのついでに隣のあなたんとこも掃いておいたから、道がとってもキレイになったよ!」と話し合うおじさんおばさんたちの姿もみられる。かわいい犬たちが夕日に照らされ、ウキウキとご機嫌な様子で散歩している。
上水沿いの崩落しかかっている小さな木の橋を渡ると、祖父が落ち葉集めをしていた雑木林がある。なにも変わっていなかった。この雑木林もいつまでこの状態を保っていてくれるのかわからないけれど、今も玉川上水沿いを楽しげにはしゃぎながら歩く学生さんたちの流れのすぐそばで、かつて祖父がエッサホイサと落ち葉集めをしていた風景を思い出すと、現在と過去の時空のレイヤーが重なって見えるようで、なんだか温かい気持ちになった。駐車場に停めておいた車に乗り込み発進すると、フロントガラスの下に溜まった落ち葉が風で吹き上げられ、茜色の葉がくるくると円を描くように舞った。