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天国と地獄は愛

私は「無宗教」だと昔から言ってきた。
葬式に参列しても、親から「こうしなさい!」と言われてそれに従うだけ。
神様がいないとは思わない、でも、私がこの神様を信じているという明確な1人がいないのだ。

「信仰」
神の存在を真実として信じること。

いろんな辞書や専門家の「信仰」の意味を私なりに噛み砕いたらこうなった。

私は何かの宗教を中心に生きてる訳でもなく、だからといって神様を信じてない訳でもない。何かあったら「神様…お願いします…」と、こんな神不孝?な私をどこの神様が救ってくれるんだよと思いつつ、神様に手を合わせる。
キリスト教ではないけど、クリスマスなんてメチャクチャ嬉しい。

神様ってなんだろう。
敢えて調べることはしないが、きっと何千年も前から「神」を信じることで救われてきた人が無数にいて、何かあっても最後には「神」が救ってくれる、信じる者は救われる、いつの時代も人々の暮らしと歴史には宗教と神様の存在があったのだろう。

それでも、この時代にこの日本に生きる私は無宗教だと言っている。
ただの世間知らずなのかもしれないが、無宗教であることは、神を信仰せずとも平和な生活が出来ている証明なのかな、と思ったり。

そんなこんなでいろんなことを考えてると、ふと「天国と地獄って愛だよな」と気付いた。

ここから無宗教な私が思う天国と地獄について語ります。万が一、同じ考えの宗教があった場合、私は神の生まれ変わりなのかもしれない。(嘘です、ごめんなさい)

私は地球外生命体も、幽霊もいると思っている。
「いると思っている」と言えば語弊になるが、絶対にいないと言い切れない存在を「いる訳ない」と考えてしまうのは傲慢すぎる気がするからだ。
いるかもしれない。そう言おう。
でも、生前の行いや信仰の有無で天国か地獄に行くというのは、私的にはないと思う。
ない!というのはさっきも言ったように傲慢になるので、ないんじゃないかなぁ〜と。

それでは何故、人間は何千年の歴史を紡いできた中で天国と地獄という概念を継承してきたのか。
宗教という教えの中に天国と地獄が存在するから、が答えなのだろうけど、私にとっての「天国と地獄」は、全ての人間にとっての救いであり、愛なのだと思う。

大切な人が息を引き取る時、どうか穏やかで優しい世界に行き、死後の世界で苦しむことのないように祈るだろう。「この人はこんなに素晴らしい人だった、だから天国に行ったんだ」と想うことで、目の前の死が悲しいものだけではなく、時間はかかったとしても優しい希望になる。

憎んでも憎みきれない相手が命を失う時、全ての罪を抱えて、死後の世界ではとてつもなく苦しい思いをしてほしいと願ってしまうだろう。「あんなに最低な人だったから、今頃地獄で苦しい目に遭ってるはずだ」と考えることで、全ての恨みは消えないとしても、多少ばかりは晴れた気持ちになり、自分に残された人生を生きる糧になるだろう。

これこそが天国と地獄なのでは、と思った。

大切な人が天国に行くことを祈り、憎くて仕方がない相手が地獄に行くことを願う。
そうすることで、今を生きてる私たち人間が、自分の中でその人の「死」を消化できるのではないだろか。
生きている人間が亡き人間を想い、自らの人生の歩みを辞めないために存在する天国と地獄は、神様がくれた愛だと思った。

そして、自分の命の終わりを感じた時、残される大切な存在が少しでも幸せに生き続けることを神様に祈るだろう。自分の想いを神様に託すのだ。

誰かが死ぬことも、自分が死ぬことも、怖い。
天国や地獄があるかもしれないし、また別の世界があるのかもしれないし、息を引き取ってしまえば無なのかもしれない。
未知とは果てしなく怖いものだ。
それでも、神様という存在が私達の死を完全な悪や悲しみにはしない。死んだらまた生まれ変わる、死んだとしても人間が歴史を紡ぎ続ける限り、何も終わらない。
神様は、生まれる前、生きてる間、事後、私達をいつでも1人にしない。
そして、生きている人間を守ってくれる。

今日の私が考える神様はこんな感じでした。
いろんな経験をして年をとったら、また違う思想が湧いてくるんだろう。

神とは、愛とは、生きるとはなんだろう。
生きている限り考え続けることが私の信仰です。


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