会話と対話の重要性〜信頼はコミニケーションから生まれる
こんばんは、キズキ屋ヒデシです。
「この記事を読んで、何か気づいて頂けたら幸いです」
ではなくて
「これを読めばあなたの人生、変わる気付きが必ずあるから読まなきゃ損だよ!」くらいの気持ちで書いています
だからどうか
あなたの「命の時間」を少しだけ頂いて読んでいただけたら
何か変えなきゃと思うような気付きを散りばめていますので、
どうか行動(読んで)してみて下さい。お願いいたします。
なんて思いで、毎日書いております。
今日はコミニケーション、特に対話が大事ってことをお伝えしたいと思います。
話さなくても伝わるは幻想です
私の公務員時代(消防士)
バリバリの体育会系で、時代背景と地方で遅れているということも相まって「どぎつい縦社会」でした。
上の言うことはもちろん、有無を言わさず「はい」なんですが
上司や先輩は、下と口も聞いてくれないような状態で
そもそも「挨拶」さえしてくれず、無視されることがほとんどでした。
もちろんこちらが挨拶しないと、血相を変えて怒るくせに
自分たちは挨拶さえ返さなく無視をする。矛盾だらけ・・・
とんでもない世界観だったと今では思います。
のちのち、その無視していた先輩と「当時の話」をしてみると
「話さないほうがかっこいいと思っていた」という
何とも稚拙な答えが返ってきてがっかりしたのを覚えています。
私はてっきり
「現場は1分1秒を争うもの。だから言葉ではなくその場の雰囲気や隊員同士での阿吽の呼吸で任務を遂行するため、普段から訓練として挨拶さえ返さないんだろうな」という幻想を描いていました。
(そう思わないとやってられなかったのもあるかもしれませんが・・・)
しかし、挨拶をしない上司が現場に入る時ほど「石橋を叩きまくって渡れ!」くらい慎重な現場活動だったのです。
そう考えると
普段からコミニケーションを取らないことは
「相手も自分も何を考えてどう動くかが、芯(心)の部分でわかっていなかった」んじゃないかとも思いました。
もちろん毎日のように訓練はしていましたし
24時間同じ釜の飯を食べて風呂に入って生活していたのです。
それでもなお
「コミニケーションを取らない」ってことが、こんなにも人を「信頼できないことに通じる」のだなと実感した出来事でした。
めんどくさいからこそ話すべき
言語を使ったコミニケーションは人間にだけできる能力でもあります。
話せないから「話さない」のならば仕方ないと思いますが
話せるのに「わかってくれるだろう」と甘えて話さない人の多いこと。
もちろん例外なく「私」もそうでした。
今も、コミニケーションが欠けてしまい妻に注意されることはありますが
些細なことも自分の頭の中だけにとどめることなく、話すようにしています。
話すって能力を授かったばかりに
「話さなきゃならない」のですが
これも全て「練習」していかないと上達することはありません。
「言霊」とはよく言いますが
「話すことで叶う」ことは「めんどくさがらずに、自分を出すこと」ができるからこそ、「引き寄せられて」叶うんです。
その「話すこと」さえめんどくさがっていたら
自分の感情や想いを外に出す「練習」を普段からしていなかったら
「自分の想いや感情」さえもわからないので「叶う」どころか
「わからないまま」になってしまうんです。
めんどくさがらず「自分の目標や夢を語るための練習」だと思って
まずは「信頼できる人」に何でも話す練習をしてみましょう。
対話から生まれるもの
特に対話から生まれるものは自分の予期せぬほど大きいものに化けたりします。
それは自分の「考え」だけにとどまらないからです。
自分の考えも使いながら、相手の考えも使う。
1人の「脳」では生まれなかったものが
2人の「脳」を使うことで、今まで自分の中で点だった考えが線になるなんてこともあるし、なんなら線が繋がって円や図形になることだってあるんです。
対話の威力は凄まじいのです。
もちろん誰にでも話せることではないこともあります。
相手を選ぶ話や場所や時間を考える話もあります。
でも、そんなことも誰かと「話して」みないとわからないものです。
とにかく会話、対話をすることは
1番のアウトプットになるのだと思います。
文章は少しのニュアンスで伝わらないこともありますが
会話ならその場の表情や細かいニュアンスまで伝わります。
ぜひ躊躇しているこころを解放して
対話を楽しんでみてください。
それでは、また。
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