苦労は買ってでもしろ?本音と建前?私が嫌いな言葉たち
すみません、今回はネガティブなnoteなので閲覧注意です。私たちの日常生活には、思わず耳を塞ぎたくなるような言葉がいくつもあります。今回は、そんな私がどうしても受け入れられない言葉たちについてお話しします。共感する部分があったら、ぜひコメントであなたの嫌いな言葉も教えてください!
苦労は買ってでもしろ
「苦労は買ってでもしろ」という言葉、聞いたことがありますか?自分自身の価値観としてならともかく、他人にこの考えを押し付けるのは違うと思います。特に、この言葉を口にする人は、他人に無理な要求をする傾向があるように感じます。苦労をすること自体が悪いわけではありませんが、それを強制されるのは不快です。
苦労を積むことで得られる経験や成長は確かにあります。しかし、それは自ら選んで挑戦するからこそ意味があるのです。他人に「苦労しろ」と言われてするものではありません。強制された苦労は単なる苦痛であり、成長に繋がるとは限りません。例えば、職場での過剰な残業や、学校での過度な部活動の練習など、本来ならば避けられる苦労を押し付けられることがあります。このような状況では、ただ心身をすり減らすだけで、何の利益も得られないことが多いのです。
本音と建前
「本音と建前」という概念も私には馴染めません。確かに、集団生活を円滑にするためには建前が必要な場面もあるでしょう。しかし、私は建前を嘘と同一視してしまう頑固な性格のため、どうしても納得できないのです。本音を隠して生きるのは楽かもしれませんが、それは本質的ではないと感じます。このような発言をする人とは、正直で直接的なコミュニケーションが取りにくく、私は隠された本音を探ろうとするあまり疲れてしまいます。
建前を使うことで、確かに場の空気を読む能力や他者への配慮が生まれます。しかし、その一方で、自分自身の本音を抑え込んでしまうことが常態化すると、自己肯定感が低下したり、ストレスが蓄積したりすることもあります。例えば、職場で上司に対して「本音では言いたくないけど建前でお世辞を言う」という状況が続くと、自分の意見が全く反映されず、不満が募る一方です。
お客様は神様です
「お客様は神様です」という言葉もまた、私にとっては受け入れがたいものです。このフレーズは、日本のサービス業において頻繁に使われる言葉ですが、実際にはサービス提供者と客の間に不均衡な力関係を生む原因となっています。
確かに、サービス業では客に満足してもらうことが最重要課題です。しかし、この言葉を額面通りに受け取ると、過度なサービスや不合理な要求に応じることが当たり前になってしまいます。サービス提供者も人間であり、限界があります。お互いが尊重し合う関係を築くことが、真の満足度を高める鍵だと考えます。
例えば、飲食店で過度なクレームをつける客や、過剰なサービスを求める客がいると、スタッフのストレスが溜まり、最終的にはサービスの質が低下してしまいます。「お客様は神様です」という考え方を見直し、対等な関係を築くことが、長期的な顧客満足度の向上に繋がると信じています。
まとめ
以上、私が嫌いな言葉たちについてお話ししました。これらの言葉には、それぞれ独自の背景や意味がありますが、共通しているのは、他人に対する無意識の押し付けや、不必要なストレスを生むことです。あなたも同じように感じることはありませんか?それとも、別の言葉にイライラすることがありますか?ぜひ、コメントであなたの嫌いな言葉も共有してストレスを解消してください!