二子玉川の本屋博はなぜ熱狂のうちに終わったのか?
1/31(金)午前、二子玉川は静かにざわめき始めていた。
日本各地に点在する書店が、大手もインディペンデントも関係なく一挙に集合し、本棚を広げる『本屋博』が始まろうとしていたからだ。
2日間に渡るイベントが終了し、感想を聞いて回ると、どうやら本が多く売れたようだ。
また、普段の商業では起こらないような読み手-書店の会話、コミュニケーションも多く生まれたようだ。
実際にイベントに訪れた自分も、それを強く感じた。
本が売れない時代と言われている。
ついこの前もジュンク堂の京都店・名古屋店の閉店が発表され、Twitter上で話題になっていた。
だが、それを引き起こしたのはシンプルに本が売れないからだ。
市場においては富を得たビジネスが強く、そうでないビジネスは淘汰されていく。
その中で本屋博で本が売れたというのは何事だったのか。
私は、以下3点が要因と考えた。
①本棚に思想があった
イベント当日、自分は全ての書店を回った。
二子玉川駅改札から出てすぐのところに、早速本屋カー(!)が登場し、その奥に所狭しと机が並び、本屋と本が立ち並ぶ。
屋根はあるが、イベント会場の奥は屋外へとつながっており、良くも悪くも風もよくあたる場所だった。
そこに並んでいた本の群れは、生態系の呼吸が感じられるまとまりばかりだった。
メンタルに特化した棚、本についての本に特化した棚、1900年代の絵本に特化した棚…
ただカテゴリ分けがされただけでなく、生態系を操る神が背後にいるかのように、本棚だけで何らかのメッセージ性を感じさせる空間になっていた。
もちろん書店は普段からそのような思想をもって棚作りをしているし、最大限リスペクトをしている。
しかしあの場が特殊だったのは、その生態系が大量にしかも同じく空間に凝縮されていたことだ。
ドイツの生物学者・ユクスキュルは「環世界」という概念を提唱し、生物は固有の知覚・認知をもって世界をとらえていると論じたが、あの場には複数の「環世界」が、一部交わり溶け合ったり、まったく異なる様も見せながら、重なり合っていた様が面白く感じたのだ。
何かがテーマをもってコレクトされたとき、コレクトされなかったものが最も力強く物語る。
反対に『本屋博』に存在しなかったものは、整然とした空間、検索性、網羅性といった点だろう。
二子玉川には蔦屋書店がすぐそばにあるが、そこにはある程度検索機能や本のジャンルの網羅性が存在する。
『本屋博』の複数の環世界が溶け合っている様、読み手が遊牧民のように本屋から本屋へ移動する様は、そういった様相からは遠くかけ離れていた。
②物質としての本を尊んだ
『本屋博』にはいわゆる出版社が入っているものもあれば、インディペンデントなZINEも見受けられた。
中には1冊1冊縫製するなど手作りのものもあり、改めて本の物質的な面白さを感じさせられた。
仮に電子書籍でイベントをしたらどうだろう、と思った。
机にiPad的なインターフェースが立ち並び、訪れた人が一様に光る画面を覗き込んでいる…。
それはある意味本に書き付けられたもの、純粋なテクストと向き合う体験を促したかもしれないし、無限の図書館ですら想起させる。
一方で、そうではない『本屋博』が浮き彫りにしたのは、手仕事や人の手を介した豊かさ、コミュニティ感である。
『本屋博』を媒介に各書店のファンが生まれ、その後のつながりにもなっていく。
物質としての本を介しているからこそ、ずれ、あるいは、純粋でない何ものかが介入し、体験としての成立を促すのだろう。
「触る本屋博」というものがあっても面白いかもしれない。
本の紙質や形状そのものがメッセージを送り出すことは往々にしてある。
盲目のボルヘスも本に触れてタイトルを推察したと言う。
目隠しをしていて、本に触れて、どのような内容かを想像してみるワークが思い浮かんだ。
③祭りで身体性が復活した
『本屋博』最大の特徴と言えるのがハレの祭り感、フェスらしさだ。
日本各国から本屋が集結したこと、ブースの乱雑さであえて回遊のリズムを崩すこと、2日間という期間もそうだが、
何より本の街とはまったく異なる場所で行われたことも大きい。
要は、日常に突然本棚が現れたかのようだった。
一定のルーティンをもつ日常に突如として問いかけがされたようでもあったし、整然としたショッピングモールに現れた迷路のようでもあった。
意図的に人間の身体の動きを乱す、崩して歩みを止めること、そこで本を通じた問いかけがなされる仕掛けと思えた。
『本屋博』にはイベント目的の人も、私のように仕事中の人、買い物途中の人まで、多様だった。
人は分からないことに出会うと、身体を最大限活用してまったく拒否するか、理解のとっかかりを探し始める。
このイベントでは本を通じて新たな問いを提示しつつ、本というリーダブルな媒介を通じてイベントとしての一体感を生み出すことができていたのではないだろうか。
勢いで書いたのでうまく説明できているかわからないが、ひとまずこんなことを考えた『本屋博』であった。
最後に、戦利品の写真。