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「満たされる」ことから始まる物語をつむぐ

最近のテーマが「平常心」なので、また少しこれについて書いてみます。

前回の記事はコチラ

で、今日は「平常心」を、ちょっと違う角度から考えてみたいと思います。

最近は「満たされる」ということをよく考えるんです。

あるお店に行って、満たされる。
ある人と話して、満たされる。
ある商品を買って、満たされる。

ここには、スゴイ価値があると思うのです。

人間の、生きることのすべてが詰まっていると言っても過言ではないくらい、大切なことなのではないかと。

つまるところ、

「満たされて生きる」

ことができれば幸せだし、

どんなに経済的成功を収めても

「満たされない」

のであれば不幸ではないかと思うのです。

しかし、「満たされる」ってのは、一体なんでしょうか?

なんとも抽象的で、分かるようでわからない、不思議なことばです。

ただせっかくなので、もうすこし抽象的に進めますと、これは

「気が満たされる」

ということだと思うのです。

「気」ということばに抵抗があれば、「エネルギー」でもいいですね。

ね、よく「満たされる」って普通に使いますが、「何が」っていう主語が不明なんですよね。

それは「日本人なら分かるじゃん」ということなのです。

「なんか満たされるって感じあるじゃん」

って。

で、それをあえて言えば「気」だとおもんですね。

となると、ちょっと「満たされる」が具体的になってきます。

合気道や書道などの「道」に共通するのは「呼吸」です。

そして「浅く短い呼吸」よりも「深く長い呼吸」を大事にするのが「道」の基本になります。

となるとですよ?

「満たされる」というのは「気が満たされる(充満する)」つまりは「呼吸が満たされる」と考えることができるのではないでしょうか?

つまり「呼吸が深くなる」というのが、「満たされる」の正体ではなかろうかと、ぼくは考えるわけです。

これはもっとシンプルに言うと「ホッとする」ということですね。

このとき、ぼくらの「心は落ち着いている」わけです。

で、この「落ち着いている」ということこそ、「平常心」なのではないでしょうか。

平常心は「フラットな心」「偏りのない心」「感情に囚われない心」です。

それは「落ち着いている」とも言えますよね?

もしも、こんな状態のままで生きられたら、きっとものすごく幸せな人生になるでしょう。

けれども、ぼくらは悲しいことに、この状態からすぐに外れてしまいます。

基本は「満たされていない」のが、現代人ではないでしょうか?

それは言い換えれば通常、

「気が満ち足りていない」
「落ち着いていない」
「呼吸が浅い」
「ホッとできない」

そんな状態で暮らしているということです。

そして、

「そんな状態であることにすら気が付いていない」
「苦しい状態が当たり前になっている」
「苦しいということにすら気づけない」

というあり方で生活しているということです。

では、たとえば、この

「満たされていない」

状態からはじまる物語とは、どんなストーリーになるでしょうか?

「何かが足りない」
「このままの私じゃダメだ」
「なにかしなきゃ」
「のんびりくつろげない」
「がんばらないと価値がない」

呼吸が浅く、気が不足している状態から生まれる発想は、こんな感じです。

いわゆる「自己肯定感の低さ」とも関連してきます。

この状態からスタートすると大変です。

たとえば
「今のままの私じゃダメだ」
”だから”
「起業しよう」
と考えた場合、

もしそれなりに成功しても
「今のままの私じゃダメだ」
という感覚は残ります。

なぜなら「不足感」をスタートにして、

「〇〇さえあれば、この不足感がなくなるのに」

というのは幻想だからです。

これを「さえあれば思考」と呼んでいます。

これが「不足感」からはじまる物語の特徴です。

「焦り」からはじめたら「焦り」が強調される。
「怒り」からはじめたら「怒り」が強調される。
「さみしさ」からはじめたら「さみしさ」が強調される。

これは「苦しみが持続するあり方」です。

だからこそ「目の前の問題」に取り組むと同時に、

「あり方の修正」

をしていく必要があるわけです。

それは
「不足感・浅い呼吸・焦りスタートの物語」を

「平常心・満たされ感・深い呼吸スタートの物語」へと

シフトしていくことです。

重要なポイントは、ここでいう「満足感・満たされ感」というのは

「〇〇だから満足」

外的な要因に左右されるものではないということです。

もっといえば「条件付きの満足ではない」ということです。

苦しいのが長く続く方は、ここのポイントを勘違いしていることが多いです。

つまり、先ほどの「〇〇さえあれば思考」にハマってしまっていることが多い。

逆に、ここに気づけば、一気にラクになっていくことも多いのです。

そして「不足感からはじまる”さえあれば思考”」というのは、

言ってみれば「こころのクセ」ですから、以下の方法でだんだんと減らしていくことが可能です。

で、ここでのポイントは

「まずは受け身からはじめよ」

ということです。

つまり「誰かに満たしてもらう」ということから始めるということです。

「満たされ感」も分からないのに、

「じぶんでじぶんを満たそう」

と思っても難しいのです。

だからはじめは

「受け身」

からはじめる。

「満たされる」という「体験」をするのが大事なのです。

ぎっくり腰でどうしようもなく痛いのに、セルフケアの体操などできません。

まずは完全に受け身で、整体か何かを受けるのがいいですよね。

心も同じで、まずは

「誰かに満たしてもらう」

という体験をし、「満たされ感」を知ることが重要です。

そして感覚がわかってきたら、その感覚を再現すべく、

「じぶんを満たす」

ことを実践していけばいいのです。


と言うことで話が長くなりすぎましたが、

「平常心と満たされ感」

について書いてみました。

まだうまくまとまっていないので、また徐々にまとめつつアップしていきますね。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます(^^)



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