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私はある日突然、潰瘍性大腸炎になった

着々と準備して、心構えバッチリで病気になる人なんていない。
2020年秋、私は指定難病の潰瘍性大腸炎と診断された。
診断にいたるまでをつれづれなるままに。
(病気上、トイレの話が多いのです。ごめんなさいね。)

トイレで感じる、いつもと何か違う。

きっかけは排便時に血が出てることだった。
鮮血で量は多くないけど、毎回毎日。
拭く時も痛くないからたぶん痔じゃないし、
時々血だけじゃなくてぬるっとしたものも一緒に出てることに気づいた。
ネットで調べてみると、おそらく粘血便っぽい。
便意があるのに出ないことも多々あった。

なんか、いつもと違くない?
症状が続いて2週間くらいした時、家の近くの消化器科内科に行った。

人生はじめての「大きい病院行ってください」

社会人になってから一番お世話になってるのが消化器科内科と言っていいほどよく腸炎になっていた。原因不明の吐き気で胃カメラ飲んだこともあった。でも、今まで大きなことになったことはないし、今回も念のため。

そんな気持ちを踏みにじって、
肛門を触診した先生が一言
「大きい病院行って、大腸内視鏡受けてきてください。紹介状書きますから。」

先生によると、
・たしかに粘液出てる
・痔はあるけど、痔のせいじゃない(あるんかい!)
・手前見た感じ、ガンではなさそう
・炎症かポリープでは?
・腸は長いから内視鏡するっきゃない

絶対なんかあるやつやん。
大きい病院行ってくださいのパワーワードたるや。

準備が苦行、大腸内視鏡に初チャレンジ

幸か不幸か、大きい病院は家からとても近くにあって、その点少し安心して行くことができました。

初日は問診のみ。
1週間後、大腸内視鏡をすることに決まりました。

4-5年前謎の吐き気止まらなくて、胃潰瘍じゃないかって胃カメラ飲んだことがあったんですよ。
胃はぴっかぴかで、結局原因不明だったんだけど。その時、鎮静剤を点滴しての胃カメラだったはずなのに、実際はあんまり効いてなくて内視鏡にはかなりトラウマがありました。

今回の先生にも胃カメラのことを伝え、
大腸内視鏡でも鎮静剤を使ってもらうことに。
(さて、今回はどうなることやら。)

実際、大腸内視鏡をやってみての感想ですが、
大腸内視鏡は準備が全て。
肛門からカメラを入れてる本番なんて、チョチョイのチョイってなもんです。

私の場合、こんな感じ
【前日】
朝昼夕食:おかゆとか消化にいいもののみ
19時までに夕食完了&21時に下剤

【当日】
7:30 吐気止め薬
8:00〜下剤ドリンク(ニフレック)開始(2ℓ)
便が透明になるまで飲み出し続ける
↑とにかくこれが辛かった。
ニフレックの味が耐えられない。
激まずじゃないんですよ、うっすらまずいスポドリ。でも2ℓもあるから、たぶん量も込みでしんどい。ニフレックしか飲んじゃダメなのもしんどい。

1ℓくらいの飲んだ頃には2-3回連続で透明の便になってきたので、1.5ℓのところで辞めました(笑)
もちろん病院ではちゃんと飲みました!って申告しましたが。(笑)

ここまでは自宅。
検査30分前に病院に着くよう移動し、
受付→検査着に着替えて待機。

カメラ挿入前に鎮静剤の点滴を入れら、
血圧や心拍を測りながら検査開始。
鎮静剤で眠気くると思いますが、無理せず眠っちゃってくださいね〜って言われたけど、がっつり起きてました。でも不快感はなし。それは鎮静剤のおかげだったと思います。
検査自体は15分程度。
終わった後は車椅子で運んでもらい、ベッドで1時間くらい休憩→帰宅という流れでした。


検体を取ったりしたので、お会計は1万7000円くらいでした。

地味に辛かったのは、お腹のハリ。
検査の時、大腸のひだのところをよく見るために空気を入れるらしく、お腹が空気でパンパンに。
突っ張ってる感じで苦しいんです。
検査後、その空気が全部抜けるまでごはんNG
抜く方法はただひとつ、オナラ(笑)
1回で全部出るわけでもないし、外だと恥ずかしさもあるしで結構辛かったです。

予想してなかった診断 潰瘍性大腸炎

最近だと、安倍元首相で名前が知られた潰瘍性大腸炎
私もなんとなく安倍さんのニュースで耳にしていたくらいで、何にも知りませんでした。

内視鏡の1週間後、先生の口から聞かされたのが
「潰瘍性大腸炎」
大腸内視鏡の映像、検体、問診、後日行った血液検査による診断でした。


潰瘍性大腸炎でよく言われている、
過度の下痢や腹痛、発熱などの症状は私にはまだなく、自覚症状としては血便のみ。
画像や検査結果からも現状は軽度だそう。

下痢、血便、腹痛など症状が続く状態を[活動期]
何もない状態を[寛解期]と呼び、
寛解期を継続させて行くことがこの病気との付き合い方だそうで、寛解状態を維持できれば他の人と何も変わらない普通の生活ができます。

怖いのは、活動期と寛解期が繰り返しくること。
そもそも炎症の範囲や活動期寛解期の周期など、人それぞれなので薬を飲み続けることや定期的な検査で状態を把握することが必要とのことでした。

突然の断乳宣言、そして、、、

指定難病だって、私。
生後7ヶ月のムスメを抱っこしながら淡々と先生の説明は続く。

「早速今日から薬飲んでもらうので、授乳やめれる?」

自分が難病になったという事実そのものよりも
ズドーンと私の胸に悲しさを押し寄せたのは
先生のこの言葉だった。
ムスメは別にミルクも大好きだから断乳そのものはできるよ。
でも私の心がそこに追いついて来ない。
今日?やめるの?
自分が「普通」じゃない状況にいるんだってことを一番身に沁みた瞬間だった。

何にも分からないムスメはニコニコしてて、
私だけが一人涙を堪えてた。

何度聞いても先生の答えは一緒だし、断乳以外の道はない。嫌だけど。
夫に授乳フォトを撮ってもらい、
ムスメと二人っきりの卒業式をした。

断乳開始したものの、
本当にやめなきゃいけないのか?という疑問は消えない。
やっぱり授乳続けたいって強く思ってたんです。

しこりや張りも出ていたので、助産師さんの母乳外来で白黒つけようじゃないの!?ということで、産婦人科へ。

産婦人科の先生の見解は「授乳継続OK」

あんまりにもあっさりで、涙のお別れをしたのが恥ずかしくならました。
その後、念のためムスメを出産した産院の薬剤師さんにも電話相談し、授乳継続を決めました。

私が飲んでいるアサコールという薬で、
まれに赤ちゃんが下痢をすることがあるらしく赤ちゃんの便の状態を注意しながらということらしいです。
5日間の断乳でほどよく母乳量も減ってたので、
1日5回の授乳の内、
朝一&寝る前→母乳/日中3回→粉ミルク
という混合スタイルに変更することにしました。

あと数ヶ月で卒乳なので、少しずつ母乳を減らして行く作戦。
急な断乳にモヤモヤしていた私ですが、そんな気持ちに寄り添って一緒に考えてくれた助産師さん、産婦人科の院長先生には本当に感謝です。

私は生きる

血便が出始めた頃からずっと怖くてドキドキしてた。まだ子ども産んだばっかりで、私まだ死ねないんだけどって。

やっとその正体がわかって、どう付き合っていけばいいのか知ることができた。

年齢だけのせいじゃないけど、
30代になるともう気合いじゃどうにもならないし、怖くても見て見ぬふりしないでちゃんと知りに行った方がいい。
いつもの自分を知っておくこと。
何かいつもと違うって思ったら正直に。


それが教訓。

私はまだまだ生きる。




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