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民主主義
紀元前のギリシャ、哲学者のプラトンはこの制度に懐疑的であったらしい。
でも、人間社会の統治スタイルで、これが完璧だというものは作れないだろう。
三権分立にしても、絶対王政の権力者の横暴を防ぐため、便宜的にそうしているだけであって、今のところこれが、最善だろうと踏襲されているだけだ。
話は変わるが、塩野七生さんの「ベネティア1000年の歴史」を読んで、ベネティアの人が培っていた統治制度も、制度疲労を起こしていたようだが、終焉は、コルシカ島から出てきた田舎者のナポレオンによってとどめを刺された。
イスラム世界も含め多様なステークホルダーとの協議により、よりよい統治を進めていたのであるが、多様なステークホルダーとの調和を是としない田舎者によって潰されてしまう。
プラトンが恐れたのは民衆の暴走のというリスクを民主主義という制度は、根源的に秘めているということらしい。
翻って、現代の日本、自由にモノがしゃべれ、特段の抑圧というものもない。
そんな中、統治スタイルの変化を期して安心して投票出来る制度があること自体については、感謝しなければならない。
4年に一度ぐらいがいいのであろう。そんなものがなかったら、社会全体に閉塞感が漂い、息苦しくてたまらないであろう(笑)。
せめて最低の責務として、人は、不断の努力でもって生涯学習し、熟慮し、投票して、少しでもよい統治が行える状態に変化できる可能性を秘めた選挙に参加すべきである。
なぜなら、孫子がよりよい未来社会で暮らせることを可能にしてくれる統治機構に出来るかも知れない。
民主主義の根幹をなす選挙というものには多額の税金が投入されているのである。
投資に対する望むべきリターンは、孫子のための社会実現という果実である。
最後に、犯罪とは構成要件該当の違法有責なる行為となっている。
そして、行為には作為と不作為がある。
孫子のための選挙制度、「不作為」は到底ゆるされるものではない(笑)。
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