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中国・浙江省のおもいでvol,7

『神隠し』

 神隠しという言葉が脳裏をよぎる。この世のラインの一線を越えてしまったかのような風景。帰る道がわからないことだけは確かだった。

 僕らを乗せた小舟は真みどりの湖面をしばらく進むとやがて停止した。船の周りは白いベールで覆いつくされ、向かい合わせに座っているフェイの顔が薄っすらとぼやけて見える。

 船を中心とした水の波紋は徐々にひろがり、やがて湖とひとつになる。沈黙ではなく、静寂。喋れないのではなく、喋らない。声に出すことより、耳で聞くこと。肩をゆすられて、いつの間にか目を閉じていたことに気づいた。

「どう?」と尋ねられ「漂亮ピャオリャン(きれいだ)」と答えた。漂亮にはかけがえのないものに対する称賛という意味がある。彼女は満足そうに目をすぼめて「謝謝シエシエ(ありがとう)」と呟いた。

 彼女の父親は彼女が大学に入学する直前に亡くなったいた。過労死だったという。大学で日本語を教えていた彼は非常勤講師で収入が少なかった。大学での講義を終えると、その足で他大学の講義をこなす日々。母親と共働きだったため彼女は小さなころから一人で多くの時間を過ごしていた。

 父との唯一のおもいでが西湖だった。日本人留学生の観光案内で西湖を訪れた際、まだ幼かった彼女を一緒に連れていった。その日も西湖は霞に包まれ、雨が降っており、多くの観光客は湖に繰り出すのを躊躇していた。彼女も他の観光客と同様に怖がって船には乗らず、岸で父親が帰ってくるのを待っていた。

 父は、雨と霞に包まれた人の少ない西湖の素晴らしさを知っていたため、彼女に伝えたかった。結局、父親の望みがかなうことはなかった。母親からその話を聞かされた彼女は父親が西湖を愛していたこと、それ以上に彼女を愛していたことを知った。娘との時間を何よりも欲しがっていたことを彼女は聞かされた。

 中国語に堪能ではなかったぼくは彼女の話を何度も聞き返さなくてはならなかった。しかし、誰も邪魔する人はいなかったし、ぼくらはお互いの語学力がまだまだ未熟なことを知っていた。 

 ぼくは以前中国から帰ってきて間もなく死んだ祖父の話をした。旅をするのがかれの夢だった。会社での仕事と家族の生活のため実現しえなかった夢をかなえるため、定年退職してからすぐに旅を始めた。その一歩目が中国だったのだ。

 彼は単身中国へ旅立ち、上海におりたった。外灘(ワイタン。上海の中心部)でかれは有り金をすべて失った。盗難にあったのだ。パスポートも失ったかれは大使館の計らいで日本に帰国することができた。命があっただけでも幸せなことだが、失意のうちに帰国したかれは、持病の糖尿病と肝炎が悪化。しまいにはガンを併発し、帰国後1年とたたずなくなってしまった。

 「夢」に賞味期限があることをぼくは知った。ぼくの夢は「まだ見たことのないものを見て、新しい出会いをする」ことだった。彼女もまた何度もぼくに聞き返し、ゆっくりと話をした。

 日中の問題だったり、自国の文化などの一般的に推奨されるような話はしなかった。お互いの奥底に沈んでいる思い出の原石。喜びや悲しみ、それらすべては西湖にかかる霞と真みどりの水に吸い込まれ、消えていった。

 人は何かを見つけるために神隠しにあうという。彼女とぼくはそれぞれに見つけなければならないものがあって、この西湖に引き寄せられたのかもしれない。(『中国・浙江省のおもいでvol,7[神隠し」』)

                言葉が人を癒す  taiti



 


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