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【小説】魔女の告解室vol,10

前回までのあらすじ
魔女と人が共に暮らす町。魔女は魔法の存在を隠しながら、生活していた。
それまで、魔女を束ねてきた長老がなくなると、最年少の魔女エレナが、後継者に選ばれた。
同時に、人間を滅ぼそうとする魔女の存在が徐々に明らかになってゆく。

第四章 月下美人①

「リコリス、あなた今年でいくつになったのかしら」


御年80になろうかという、修道服に身を包んだ老女は、ゆっくりと教え諭すような口調で語る。


「滅多なことを聞かれるのですね、ガザニア様。私が生まれた時に、洗礼を行ってくださったのは、あなたではありませんか‥今年で30歳になります」


受け答える女性の頬は、透き通るような純白だ。耳から顎にかけては、山の峰のようにすっきりとしており、優しげな瞳を老女に向けている。


午後3時。教会の奥にある小部屋。小さな丸テーブルの上には、茶色の砂糖を程よくまぶしたラスクが、手のひらサイズのバスケットに並んでいる。


少し弱まった光に、紅茶が飴色に照らされ、中世の絵画に出てくるような穏やかな茶会である。


「血は争えないわね。いつまでも、人間との夫婦ごっこをしていてはだめよ?あなたには、指南役の仕事で、多いに期待しているんだから」


そういう、老女ガザニアは今年で150歳を過ぎようとしている。通常は、人間と同じだけの寿命しかないはずの魔女が、こうも生きながらえていることは、既に魔女の間では暗黙の了解になっている。絶望的な年の差にも臆せず、リコリスは微笑で受け答えた。


「もちろんです、ガザニア様。母の何よりの理解者である、あなたのお期待に、このリコリス、必ずお答えするつもりでおります。時にガザニア様、後継者のエレナですが、本当に私が教育してもよろしいのでしょうか。私、母を死へ追いやった人間を許してなどおりません。あのエレナが、人間の肩を持つというならば、私は彼女をどうしてしまうか分かりません」


美しい顔から、微笑みが消えた表情は、切り立った断崖を思わせる。近寄りがたく、見るものに畏怖の念を抱かせる類の表情だ。その表情に何かの意味を見出そうとしても、冷たい虚無が待っているだけである。


「リコリス、人を憎んでいるお前にだから頼めるのですよ。お前は世代が変わった後の指南役を引っ張ってゆく存在なのだから。人間と共生していこうなどという魔女の目を覚まさせてやらねばなりません。エレナが、厄介になれば、お前の手で消してしまいなさい」


老女ガザニアの表情からも、穏やかさは失われていた。口元は歪み、瞳は見開いて、不気味な光を帯びている。彼女の表情には、重々しい溶岩が、大地を溶かしながら、斜面を滑る様子を想像させた。


「ラスク美味しく頂きました。このような、良いお日和に、ガザニア様とお話しできて光栄でした。それではまた」


リコリスはガザニアのしわがれた手にそっと口づけすると、教会を後にした。教会の周りには、クレマチスが一斉に咲き誇っている。石畳になっている。道を抜け、町の外れまで歩いてゆくと、彼女の家に着く。レンガ作りの、二階建ての家だった。小川に面した家の周りの樹木には、月下美人の蕾が、夜を待ちくたびれてうずうずとしている。それを、ひと房摘むと、扉を開けた。


✒ ✒ ✒

「お帰りなさいませ、リコリス様」


「出迎え、ありがとうね。留守の間、何か変わったことはありましたか?」


「指南役からのお達しは、先ほどのガザニア様からのみです。手紙が一通、記憶抹消の依頼が、図書館のスピラ様から届いております。後は……」


「後は?」


「旦那様の具合が芳しく、ありません。リコリス様がお出かけになってから、少しだけ意識を取り戻しましたが、それからは、目覚めず、時折うなされているようです」


「分かったわ。後は私が見るから、今日はもういいわ」


「はい。失礼します」


世話人を見届けると、手に先ほど摘んだ月下美人を片手に、二階に上がった。


ベッドのサイドテーブルに置いた花瓶に、それを差し、椅子に腰掛ける。


リコリスはもう半年も前から、目覚めない夫の世話をしてきた。月下美人を活けるのも、半年前からの習慣だ。日が落ちると、蕾を開く、白の花びらは、開花すると、より濃い匂いを放つ。彼女の世話の甲斐なく、夫は目覚めず、朝になると、月下美人の花は萎んだ。


世話人が帰ってしまうと、返事のない夫に話しかけた。皮肉にも、意識がないから、普段は決して言えないような、魔女としての彼女を話すことができた。


「今日はね、ガザニア様に呼び出されて、釘をさされたのよ?あなたは驚くかもしれないけれど、教会の聖女様は魔女なの。それも、悪い魔女。人間をね、薬に変えてしまうの。罪を犯した投獄された人間とか、治る見込みのない病人を見つけてはね。だから、早く目覚めないと、あなたも薬になってしまうのよ?」


膝の上に置いた手の甲に、涙が落ちる。


……これが夫に聞かれていたら、私は自分で彼の記憶を消して、そのあと、魔女裁判にかけられる。それでも、夫が目を覚ますならば、私が魔女だってこと、それも、同胞を殺す魔女だということ、ときには人間も殺してきたことだって話す。あなたはそんな私を受け入れてくれるだろうか……


日が落ちて、月光が部屋に射す頃、月下美人が花を開く。


彼女の夫は目を覚まさない。彼女によって体の強張りはほぐされ、表情は安らかだ。


しかし、その表情は彼女を不安にさせる。まるで、目を覚ますのを忘れてしまったかのような顔だ。胸に耳をつけなければ、夫が生きているかどうか、分からなかった。

……魔女とはなんと皮肉な生き物なのだろうか。


人間より、遥かに優れた力を持ちながら、その使用は厳しく制限されている。自分たちの力で自滅することを防ぐためだと長老は言っていた。


しかし、愛する人さえ守ることができないのだ。


夫の体を蝕む病原の正体だって分かってる。右の胸の奥、何か塊のような物、それと同様の物が、左胸にもある。それはまだ小さいが、やがて大きくなるだろう。魔法で綺麗に取り除けるのは、小さい物だけだ。大きい物は、他の臓器と癒着してしまっており、取り除けない。魔法でも、夫の病の前になす術がない……


夫の胸に耳をつけると、彼女はいつのまにか眠り込んでしまっている。


彼女はまどろみの中で、夢を見ていた。憎んでいたはずの人間に、愛をもらった日のことを。


窓の外では、満開の月下美人が風に揺られている。愛する夫の暖かい胸にあてた、リコリスの頬を、甘い匂いの風が撫でていた。


(続く)


2020年7月5日         『魔女の告解室』              taiti
















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