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現代文を教えたときに思ったこと

今回は、日本語を見つめ直すというお話です。以前、直前期に現代文を指導したことがありましたので、その絡みでお話しします。

受験現代文というと特別なテクニックが必要というイメージがどうしてもつきまといますが、仮に必要であったとしても、文章が論理的に読めることが大前提です。とはいえ、論理は目に見えるものではありません。論理は文法によって言語化されます。このため、文章を文法的に読むことが、現代文読解の第一歩です。

この、日本語を文法的に分析するということは、日本語を母語とする人が日常的にやることではありません。小中学校の国語の授業で学ぶ文法知識も必ずしも文章理解に役立つようにはなっていません。それどころか、現実の現代日本語を的確に反映しているものかどうかも疑わしいとすらいえます。

日常会話であれば母語話者は改めて学習しなくてもできるようになります。しかし、そこから先は意識的に学習しなければできるようになりません。日常会話の日本語を客観的に見つめ、それを公的な会話や書きことばに活かしていくにはどうすればよいか。そういうことを意識することが大切です。「母語話者」という言い方はありますが、「母語読者」という言い方は一般的ではありません。この事実は、ネイティブと言えども放っておかれては文章が読めるようにはならないことを示していると言えます。

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