題名読書感想文:50 見慣れないカタカナは、つい見間違えがち
読書感想文は本を最後まで読まなければいけないし、読んで感じたことを文章に落とし込まなければいけない。そんな難しいこと、なかなかできません。ただ、題名だけ読んで適当に感想を書くなら何とかなりそうでした。その予想は当たりまして、何とかなるどころか今回で50回目です。
今回のテーマは「見慣れないカタカナ」です。世の中には膨大な言葉がありますし、こうしている間にも新しい言葉が生まれています。海外から新たにもたらされた言葉もあるでしょう。
そうなってくると、どうしても見慣れない言葉が出てくるんです。ひとつ言葉を覚えても、その間にまた新しい言葉が生まれてくる。見慣れない言葉といっても、マジで初めて出会ったものから、昔からあるけど馴染みの薄いものまで、いろいろあると思いますが、いずれにしろ見慣れない言葉に遭遇すると、見慣れた言葉に見間違える場合があるんです。
特にカタカナのみで構成される単語に見られる現象だと私は勝手に思っておりまして、本の題名にもたまにあるんです。例えば、「イヤーノート」です。
医師国家試験などを受ける方によく用いられる書籍とのことです。題名の「イヤーノート」は「year note」でございまして、毎年出版されているため、「year」なのだと推測されます。
しかし、カタカナにされると「イヤー」の悲鳴っぽさが半端ありません。イヤーノートとなると、この世に溢れる数々の悲鳴を収録したノートに勘違いできる余地がございます。
もちろん、yearなんて日本でもそこら中に存在する言葉です。しかし、「イヤーノート」だと見慣れない単語のためか、悲鳴っぽさが際立つんです。「イヤー!ノート」みたいに見えるわけですね。「キャーノート」みたいな類似品がありそうな気がしてくる。イヤーノートがもっと多くの人に知られれば、そんな印象も薄まるのでしょうが、今のところ医学部生くらいしか用いられていない状況のようですから、当分は難しそうです。
似たようなものとして、「コワーキングスペース」がございます。
コワーキングスペースとは、仕事をする場所を貸し出すサービスを指すようです。
つまり、コワーキングは「co-working」なわけですね。「co」は共同で何かする、みたいな意味だと思われます。
しかし、コをくっつける外来語は日本ではまだまだ広範に流布しているとは言い難く、それゆえになんか物凄く怖がっている王様がいるスペースに見えてしまいます。もちろん、王様は「コワー」と言っているに決まってます。「決まってます」って何ですか。
悲鳴っぽさはありませんが、似たような形式としては「ホームランド」があります。
「ホーム」も「ランド」も日本では今や非常に馴染みのある日本語でございますけれども、それを組み合わせた言葉があまり世に出てないせいか、馴染みのある単語「ホームラン」が浮かび上がってしまうんです。こうなってくると、「ド」は過去形なんかで用いられる「ed」の日本語読みに見えてしまいます。「ホームランだった何か」みたいな題名に見えかねない。
試しに、「ホームランド」でアマゾン検索してみると、書籍では今のところ「ホームランドの政治学」のみ確認できました。
一瞬、野球絡みの政治学かと見間違えそうになってしまいます。やはり、日本語で「ホームランド」はまだまだ馴染みの薄い言葉であり、それゆえに馴染みのある「ホームラン」を浮き上がらせてしまう結果となっています。
続いての題名は「アフォーダンス」です。
アフォーダンスとはもともと英語で「与える」を意味する「afford」から来ている言葉でございまして、「環境が動物に対して与える意味や価値」という意味とのこと。主に心理学方面で用いられる考え方のようです。
しかし、このアフォーダンス、どうしても頭の悪い踊りに見えて仕方がありません。似たようなことを考えている人が絶対いるだろと思って調べてみたところ、「毎日あほうだんす」という題名の本がございました。
この「あほうだんす」はちゃんとアフォーダンスから来ているようです。「やっぱりアフォーダンスという言葉を見聞きしたらそう連想しますよね」、となんか安心してしまいます。これもまた、アフォーダンスという言葉がまだまだ世間に広まっていない、すなわち馴染みが薄いからこそ起きる現象だと思われます。
インピーダンスなんてものもあります。
インピーダンスとは、ある特定の状態における電流の流れにくさを意味する言葉でございます。
しかし、電気に詳しくない人が見たら、こちらも変なダンスだと誤解されるでしょう。何なら、アフォーダンスよりアホなダンスだと思われてしまうかもしれない。たぶん「ンピ」辺りが原因です。
続いては「よくわかるアサーション」です。
アサーションとは「人は誰でも自分の意思や要求を表明する権利がある」という立場に基づいておこなう自己表現とのことです。コミュニケーションの分野で用いられる言葉のようです。
しかし、「ション」が悪さをしているのか、新しい放尿様式に見えなくもないんです。立ちションみたいなもんですね。たぶん朝にやるんでしょう。
アサーションについて書かれた本はいくつもございまして、それゆえか更なる誤解できる題名もチラホラございます。例えば、「アサーショントレーニング」です。
放尿視点で見る癖がついてしまっていると、幼い子のトイレトレーニング本に勘違いする余地が出てきてしまうんです。
他に気になったアサーション本としては、「夫婦・カップルのためのアサーション」がありました。
「え、カップルで何してるんすか」と間違った邪推をしてしまいかねません。当然ながら、もっとちゃんとしたコミュニケーション本でございます。念のため。
続いてはこちら、「結果を出す人は『ブリコラージュ』で考える」です。
ブリコラージュとはもともとフランス語で「繕う」を意味する言葉から来ていまして、物を自分で直すことを指しています。
しかし、そこはかとなく漂うブタゴリラ感が気になって仕方がありません。何なら、疲れている時なら簡単にブタゴリラージュと読めてしまう。
ブタゴリラとは藤子・F・不二雄の「キテレツ大百科」に登場するキャラクターでございます。本名は熊田薫でございますが、薫という名前にコンプレックスがあったため、本名で呼ばれるのを防ぐ目的で自らこう呼ばせているとのエピソードがございます。ちなみに、ブタとかゴリラブタとか呼ばれるのは嫌だそうで、他にもブタコレラとかブタゴジラとか言い間違えられたことがございます。
ブリコラージュ自体に馴染みがないため、このブタゴリラ現象が起きていると思われます。ブタゴリラだって広範に流布された単語とは思いませんけれども、ブリコラージュよりはまだ知られている。だから、ブリコラージュという単語を見ると、ブタゴリラの顔がチラつく方は他にもいらっしゃると私は信じています。
ちなみに、ブリコラージュという雑誌もございます。こちらはアルファベット表記がメインとなっておりまして、そのためブタゴリラ感が極めて薄い題名でございます。
今回のラストは「ブリーフセラピー入門」です。
ブリーフセラピーとはコミュニケーションの変化を通して問題の解決を目指す心理療法とのことです。心理方面ではよく知られた療法のようで、日本ブリーフセラピー協会という団体も存在しています。
つまり、ここでのブリーフはブリーフケースとかブリーフィングとか、そっちの意味でのブリーフだと思われます。外来語としては、比較的よく用いられる言葉です。
しかし、相手が悪いと言わざるを得ません。もちろん、その相手とは下着のほうのブリーフです。「そっちじゃないよ」と知りつつも、頭にチラつくあの白いピッタリとした男性用下着。ブリーフとしては下着のほうの知名度が圧倒的なため、未だに誤解される可能性が高いわけです。
ブリーフセラピー自体は何しろ協会も存在しているくらいですから、書籍もかなりの数が出版されています。このような状況から考えても、有効性が認められた方法なのでしょう。
そう分かっていたとしても、「思春期のブリーフセラピー」なんて題名を見ると「ん?」と思ってしまう自分がいます。
そういうくだらない考えを排除するためには、私がブリーフセラピーに詳しくなる意外、方法はなさそうです。
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