題名読書感想文:52 狭い歴史がループする
「題名だって本のうちだろ」と開き直った末にできあがったのが題名読書感想文でございます。読書としてはギリギリアウトな気がしますが、よろしくお願いいたします。
今回のテーマは「歴史」です。人は時間を感じる生き物です。ですから、必然的にいろんなものから歴史を読み取ります。読み取った数だけ歴史があると言ってもいい。世界史のようなザックリしたものから、ゲーム音楽史みたいなかなり狭い範囲のやつまで、世の中にはいろんな歴史がございます。
当然ながら、歴史の本はたくさん出版されてきました。中でも気になる題名のものをいくつかピックアップしてみます。
まずはこちら、「沈没船からみる世界の歴史」です。
何か特定のものから歴史を調べる手法があると私も聞いたことがあります。普通の歴史だと、どうしても国家とか、それを運営する権力者とかがメインになりがちです。でも、それだとどうしても特定の権力者にとって都合のいい情報しか残らない可能性が出てくる。これでは正確な歴史を知れません。
一方、物の歴史ならば権力者の都合に翻弄されづらい。スプーンの歴史なんて、権力者がどうにかしようと思わない。そのため、客観的な情報が残りやすいとの考えのもと、アプローチをかけている人がいるんだそうです。もちろん、「我らフォーク軍はスプーンの歴史をこの世から消し去るまで進軍を続けるぞ」みたいな特殊な人類がいないとも限りませんが、まあ妥当な考えだと思います。
当然、沈没船から世界史を覗き見る人だっていつかは出てくると思うんです。しかし、なんと狭い穴から覗き見ているんでしょうか。他人事ながら心配になってきます。世界の歴史を充分に語れるだけの船が、ちゃんと沈んでいるのかと。実際に本として出版されているんですから、ちゃんと沈んでいるのでしょう。
続いてはこちら、「昭和までの北海道道路史物語」です。
北海道の道路の歴史を、昭和まで振り返っている本だと推測されます。
道にだって歴史はあるでしょうし、北海道には当然ながら道がある。北海道の道路史があるのは当たり前の話です。物語だって山ほどあるに違いない。
しかし、表紙ではキチンと改行されていますけれども、「北海道道路史」は「道」がふたつ続いている分、妙に読みづらいんです。「ほっかいみちみち?」と読んでしまいそうになる。道路の物語だって言ってんのに、「みちみち」なんて読んでしまうと、なんかぬかるんだ道路を想像してしまいます。
似たようなタイプの題名にこんなものがあります。「危機の都市史」です。
題名としては硬い感じがしますし、緊迫感も出ています。ただし、これも妙に言いづらい。早口言葉に片足を突っ込んだレベルの言いづらさです。
理由はひらがなにするとよく分かります。「ききのとしし」。「きき」とか「しし」とか、同じ文字が続いているため、短い割に読みづらくなってしまっている。なかなか興味深い現象です。
こんな歴史本もあります。「〈どんでん返し〉の科学史」です。
科学の仮説は「どうもマジっぽいぞ」と思われていたのが「おい間違ってるってよ、これ」となる場合もあれば、「あんなん信じてるやつはエセ科学者だ」と思われていたものが「何だよマジだったのかよ」となる場合もあります。そういう意味では、科学の歴史は「どんでん返し」の連続と言えましょう。
しかし、この題名、こうにも読めます。「〈どんでん返し〉を科学の視点から振り返る歴史」、これです。
どんでん返しはいかにしてどんでん返しになったのか。どんでん返しという現象はどのようなメカニズムで起きているのか。そもそもどんでん返しとは何なのか。そんなどんでん返しにまつわる数々の謎を科学的に解明してゆく歴史を扱った本、それが「〈どんでん返し〉の科学史」なのではないかと。
自分で適当に作っておきながら、こっちの方が読みたくなってくるから厄介です。是非、著者の方は同じ題名でマジのどんでん返し版を作っていただきたく存じます。
今回の最後はこちら、「図説だまし絵: もうひとつの美術史」です。
「世の中には2種類の人間がいる」という言い回しがございます。大体はひとつ目をフリにして、ふたつ目をオチにする形となっています。
そういう意味では、上記題名は美術の歴史を「だまし絵か、そうでないか」で分けていることになります。
美術史の分け方としては偏りがデカすぎる気がするんですが、いかがでしょうか。美術史をふたつに分けた時、その一翼を担えるほど世にだまし絵は存在しているのでしょうか。どう考えても我らがだまし絵軍の旗色は悪そうなんですが、実際はそんなことないんでしょうか。沈没船みたいに意外と存在しているんでしょうか。
沈没船に始まり、だまし絵を経由してまた沈没船に戻る。歴史本の題名を読み進めていくうち、変なループに入ってしまったようです。助けてください。