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プラトンによる人間の定義  ってそれ、ニワトリじゃん・・・

人間とはなんであろうか??

いかにも「ザ・哲学!」といった風情である。

何となく悩み多き青年のため息が聞こえないでもないが、多少なりともこうした疑問を考えたことのある方もおられるだろう。

古代ギリシャの大哲学者プラトンも人間とは何かという問いにぶつかった。そして、彼は大哲学者らしく、ある一つの答えにたどり着き、後世に広く知られるところとなりました。

その答えは・・・

プラトン「人間とは・・・羽のない二本足で歩く動物である」

えーっ!マジですか、プラトン先生!?

人間についてのプラトンの謎の定義!?

プラトン「人間とは羽のない二本足で歩く動物である」
全米がずっこけた。
プラトンよ、薬でも飲み忘れたか。

古代の哲学者は言いたい放題

プラトンが生まれたのは紀元前427年とされる。

日本でいえば縄文時代の終期、弥生時代に入る少し前であり、中国では項羽と劉邦が生まれるはるか遠く昔、戦国時代よりも前の春秋時代である。

当然ながら、このころは現在のようなきちんとした学問体系などない。自分なりに考えたり調べたりした賢者が「あーでもない、こーでもない」と、割と勝手に自説を説いている時代である。

そのような時代、人々は「正義とは何か」「幸福とは何か」という問題を考え続けたが、プラトンこそ、こうした「○○とは何か」ということを当時にあって誰よりも多く考えた人物だったのである。

正義とは何か。愛とは何か。勇気とは何か。

学問の成立してない時代、人々の疑問の中心であるこうした問いに、明確にかつ端的に述べたプラトンは、古代ギリシャの人々からは「なるほど、その通り!」と喝さいを浴びることとなる。

いい加減なことは許さない! ディオゲネスの登場!

プラトンの様々な定義はかなり古代ギリシャにおいて、意外にも好評だったようで、プラトンの優れた智者としての地位は確固たるものになっていた。

これは私見だが、プラトン先生、こうした事情の中、相当に調子に乗ってしまったのだろう。

「プラトン先生、正義や徳についてはよくわかりました!それでは人間とは一体なんなのですか!?」
このように問うギリシャ市民に対し、
「ふむ、良い質問じゃ。人間とはな…二本足で歩く羽のない動物じゃよ!」

こんなことを言ってしまったから、さあ大変。あの男が黙っちゃいない。

そう、アレクサンドロスにもタンカをかますディオゲネス「ちょっと待て!」と立ちはだかる。

「お前の言う人間はこれのことかね?」

と、毛をむしったにわとりを持ってきて見せたのでした。
ディオゲネスにバシっと指摘され参ってしまったプラトンは、先の定義に「平たい爪をした」という語句を足したということである。

何とも間抜けなエピソードである。
が、ここに哲学のひとつの本質を見ることもできる。

それはつまり、自説を表明することで、真偽判断の俎上に乗せ、批判検討することで、少しづつ正しい方向へ進んでいく、という哲学の営みが現れている。

どんなに馬鹿げた意見でも、それを発表することで、みんなで考えることができる。そして、「ちゃうやろ!」というツッコミを経て、真実に一歩近付くと言えるだろう。
これは、哲学の本質でもあり、その他のあらゆる学問も、このように発展してきた。

プラトンの「人間とは二本足で歩く羽のない動物」という定義。
こんなバカバカしいことも、真実の発見のための貴重(ではあるがしょぼい)一歩と言えそうだ。

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