大日本帝国で1番高い山は〇〇!? 日本で2番目に高い山は?のアリガタイ話を論破する方法
日本で一番高い山は?
もちろん富士山である。それでは、日本で「2番目に高い山」はなんだろううか?答えは、「北岳」である。きっとあなたもこの答えを出せなかったのではないだろうか。2番は全然人に知られない。だから、1番でなければならない! ナンバーワンでなければならない!
きっとあなたも、NHKの正直不動産とか怪しいセミナーとかで聞いたことがあるのではないだろうか? そろそろあなたも、この話を聞きすぎて、北岳だと心のなかではすでに答えていることだろう。そして、高圧的なものの言い方に、何かもやもやするものを感じるのではないだろうか。
果たして本当に「一番」でなければ価値はないのだろうか?本日は、この論理を覆す視点を紹介したい。
大日本帝国時代における「日本一高い山」とは
現代の日本において最も高い山は確かに富士山である。では、大日本帝国ではどうだっただろうか?
大日本帝国時代を振り返ると、この国の最高峰は富士山ではなかった。
当時の領土で最も高かったのは台湾に位置する「新高山」(にいたかやま)であり、その標高は3952メートルを誇る。現在では「玉山(ぎょくざん)」と呼ばれているが、当時の大日本帝国の版図において、まさに最高の高さであった。
さらに興味深いことに、当時の大日本帝国領における第二の高峰も富士山ではなかった。
2番目に高かったのは「次高山」(つぎたかやま)で、現在の台湾にある雪山(せつざん)である。
新しく見つかった高い山、新高山と次に高いから次高山、なんとも覚えやすい名前である。
1位 新高山(玉山) 3,952 m
2位 次高山(雪山) 3,886 m
3位 マホラス山(秀姑巒山) 3,825 m
4位 富士山 3776m
富士山はというと、当時の帝国版図において第4位の高さでしかなかったのである。
それでも「日本一の山」であった富士山
では、当時の日本人が「日本一の山は?」と聞かれたときに、果たして新高山や次高山の名を挙げたであろうか?おそらく多くの人が「富士山」と答えたに違いない。それは、「日本一の山」という言葉が必ずしも「ナンバーワンの高さ」を指していたわけではないからである。
富士山が「日本一」と称され続けているのは、その唯一無二の自然美、文化的意義、そして歴史的な価値が、日本人の精神に深く根付いているからに他ならない。単に高さではなく、他に代えがたい「オンリーワン」としての存在感こそが、富士山を「日本一」たらしめているのだ。
自分らしい「オンリーワン」としての価値
この考え方は、我々一人ひとりの人生にも当てはめられる。職場や社会で「ナンバーワン」を目指すことも重要かもしれないが、それが全てではない。富士山が唯一無二の美と価値を持つことで「日本一」と称されているように、我々もそれぞれが持つ「オンリーワン」の価値を大切にすべきではないだろうか。
他者と比べるのではなく、自分自身が持つ個性や特長を活かして、人々にとっての「日本一」を目指すことができるはずだ。ナンバーワンではなくても、富士山のように「オンリーワン」の存在として心に刻まれる価値を追求してみよう。
最後にはなるが、あなたの上司や先輩が富士山の逸話を話しているときに、上記の論破を行うと、高確率で怒られると思われるので注意していただきたい。