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お祈り、をする日々
信心深さを考えてみる。このようなどだいちっぽけな人間の力でどうこうできないものには、もはや神頼みしかないのである。我が家には北の壁に置いてある神棚らしきものがあり、そこにわずかな時間があれば拝むことが習慣化しつつある。ほかにも月だとか星だとか夕日だとか朝日だとかにも手を合わせることが増えてきた。
そしてここ沖縄には病魔に襲われた人が訪れるという北部の無人寺がある。家族でそこに訪れてみた。桜の木が特徴的に植えられ、美しい植栽の中、本当にこじんまりとした社殿がある。3連休最終日に訪れてみると、前に4組ほど列をなし闘病祈願に参列されていた。静かな時間が流れる。私は待っている間境内を歩き、桜の木の実を見つけあやかる気持ちで3人分のサクランボを採取してみんなで口にした。ほろ苦く甘い。私はこの木の実が好きなのである。
この寺のご神体中央に薬師如来が鎮座しており、我々の番がやってくると彼女の生まれ年平成20年の硬貨に思いを乗せ、ひたすら深く深く願ったのである。
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こういう小さな願掛けがやがて彼女を大きく支えてくれるだろう。僕らも生活を立て直さなければならない。彼女の生活を中心とした思考の切り替えや、やがて来る未来の闘いについて準備をどんどんしていくのだ。
彼女の病気が発覚するまで、お金のことばかり考えていたし、夫婦の仲もすれ違いの日々があった。でもこの病気は家族の何たるかをもう一度呼び覚まし、本当に家族融和に向かっていい薬となっている。なんでも利用しよう、なんでもその過程を大切にして丁寧にやってみよう。
一つ一つわずかだが目の前の霧が晴れていくような気がする。