旧帝大卒はなぜ最低時給でバイトしているのか?
僕は北海道大学の文学部を卒業した。
北海道大学、通称、北大は一般的に入るのが難しい優秀な大学だと言われていて、
入試を突破するには、上位1.5%くらいの学力が必要らしい。
実際、僕の大学の知人たちも、
だれもが名前を知る超有名企業に勤めていたり、
大学で研究を続けて教授を目指していたり、
転職に成功して年収1000万突破したり、
等々、いわゆる「エリート街道」を歩んでる人がほとんどで、
同期はみんな僕のおよそ3〜5倍の給料をもらって生きている。
僕も同じ大学を出てるのだから、
”エリート””社会的成功者”として生きようと思えば生きれたのかもしれない。
現に自分が大手企業に勤めていた世界線を想像する日もないこともない。
でも、現実には、僕は名古屋市の最低時給1,077円でアルバイトをしている。
先月は執筆の活動にも取り組んでいて、
一日の休みもなく、合わせて300時間以上仕事した。
(執筆は1円にもなっていないから仕事と呼んでいいのかわからないけど)
体調もボロボロでかなり体重も落ちたし、メンタルもかなりやられて、
今日ある精神疾患を言い渡された。
客観的に見れば、僕の今の生き方の選択は間違っている、と言われても仕方ない。
RPGで、色んな魔法覚えられてMPも高いキャラクターに
あえて剣持たせて能力の低い物理攻撃で戦わせるみたいなことしている。
どう考えてももったいない。
ある程度しっかりお金を稼いで、休みも取れて、趣味や生活にお金をかけられる、高い水準んの生活を捨てて、休みもなく疲弊しながら働いて、得られるお金も少なく我慢、節制しながら生きている。
それでも、僕は僕の生き方は馬鹿だけどそんなに悪くない気がしている。
それがなぜか、なぜ自分の不合理な生き方を許せているのか、
今まであまり考えたことがなく、
「なんかそうしたかったから」くらいにしか思ってなかったけど、
昨日、Youtubeのラジオ動画を聴いていて、なんかその理由がわかった気がした。
結論から言うと
僕は生きることに執着がないから。
僕は、
今日死んでもいいし、
明日死んでもいいし、
30年後でも、50年後でもいいと思っている。
いつ死んでもいいと思ってるから、
あんまり「未来のために」っていう考え方ができない。
もちろん未来の想像はするけど、
ビジョンが生まれないことへは動けない。
未来〜〜のためにお金を貯めとこうとか、
未来のキャリアのために経験を積もうとかスキルつけようとか、
理解はできるけど、まったくやる気になれない。
むしろ、
今がなんとかなってればそれでいいし、
なんとかならなくなったら死ねばいいだけだと思っている。
そのYoutuberは希死念慮の話題で
「死にたい気持ちはずっとなくならないけど、今をやり過ごせればいい。」みたいなことを言っていて、
僕がやってきたことって、ずっと今を死なずにやり過ごすことばっかりだったなぁ、と思って、
その言葉がす〜っと入ってきた。
僕は小学生のときに自殺未遂をしてから、
ずっと死にたがりで、でも死ねないから、
自分が生きていていい理由をこじつけてなんとか生きてきた。
生きる理由があれば、死にたくなくなると思っていた。
だから、必死に生きる理由を探してた。
けど、実際には、それは間違っていて、
生きる理由があろうがなかろうが、
死にたいと思う気持ちは大して変わらない。
必死に努力して、社会にインパクト残すようなことをして、どんなに人から称賛されて自己肯定感が満たされても、どうせまた死にたい気持ちは帰ってくる。
一度死を強く意識してしまった人間は、一生死ぬことから逃れられなくなると思う。
うまく理由は説明できないけど、
人生に答えがあるなら、生きることを全肯定できるかもしれないけど、
人生に答えなんて絶対にないし、苦しみのまったくない人生なんて絶対にないので。
どうせ「死にたい」気持ちを一生なくせないなら、一生治せないなら、
「別に死にたいと思っていてもいいじゃん」
「死にたくってなにが悪いの?」
って考えられる方がむしろ大切で、
「生きる理由を探す」ことよりも
「死なないでいる工夫をする」のがいいんじゃないかと思って、
僕は生きることに執着しなくなった。
いつ死んでもいいと考えられるようになった。
だから、死にたくって、
生きているならそれでいいし、
どうせあなたの苦しみは誰にも分からないので、死ぬなら死ぬでそれでもいい。
とりあえず適当にやり過ごして、
生きれるだけ生きとけ。
やりたいことやってやりきったと思ったら死ね。
的なマインドセットでやらせてもらってます。
今のバイトも始めるときにしたかったから始めただけで、将来のことなんか大して考えてなかったし、
今近いうちに実現したいことがあるから続けてるだけ。
(実現できる目処がたったら辞める。たぶん。経済的に生きれなくなりそうだから。)
今執筆活動を死ぬ気でやっているのも、
アーティストの人たちと関わりたいと今思っていて、
そのために肩書があった方がいいなと思ったから。
仮に書いた小説が見事受賞を果たしても、その後また小説を書くかはわからない。
といった適当な有様。
だけど、今を死なずにをやり過ごせているから、それでオッケー。
ということで、
なぜ北海道大学を出たのに最低時給でバイトしているのか?の回答は、
生きることに執着しなくなって、将来のことを気にせず、今したいことをしているから。
でした。
僕くらい鬱で弱くて生きるのが下手くそでも、
なんとかなる!