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生きづらさと向き合って、何がしたいのか

仕事から帰ってきて、「はぁ」と深いため息をつく。体も心も重く、言葉で表現するのさえ難しい「疲れ」が全身に広がっている。

もう、これ以上動きたくない。けれども、無理にでも体を引きずって布団まで辿りつく。その瞬間、またしても同じ言葉が頭の中で響く。

「はぁぁ、疲れた…」

これが、学生時代からずっと続いている、僕の毎日だ。外に出るだけで、なぜだか分からないけれど、精神的にも肉体的にも、もう限界に近い。まるで、外の世界が僕を排除しようとしているかのように感じる。
心がズタズタに引き裂かれるような感覚に、何度も襲われてきた。

生きることが下手だな、とはあまり思わなかった。でも、よく考えれば、生きることはいつも大変で、辛いことだと感じている。それが普通だと思い込んでいたけれど、いつの間にか「生きづらさ」に対して疑問を持つ余裕さえなくなっていた。

なんとなく、漠然と「生きることがつらい」と感じる日々。それが続けば、もしかしたら本当に、もう「生きる意味」なんて見つけられないのではないかと恐れてしまう。

そう感じ始めた時、自分の中にぽっかりと穴が開いた気がした。

起きることすらできない、無気力な毎日。心はどこかに漂っていて、現実からはただ「浮いている」だけ。周りのことも、何をしている自分も、どうでもよくなってしまう。でも、このままではいけないと思いながらも、どうしたらいいのかが分からない。焦りだけが膨れ上がっていく。それなのに、何をしても無力感が強くなり、結局、自分を責め続けてしまう。

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