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アダルトチルドレンの夜明け

おはようこんにちこんばんは

いわゆる毒親育ちのアラサー主婦、あおです。

長らく更新していませんでしたが、何をしていたかというと、現実と戦っていました。というか単純に仕事が忙しかったのです。(笑)

さらっと書きましたが、アダルトチルドレンにとって、これってものすごい大きな進歩なんですよ。

過去に受けた心の傷やそれによって湧き上がる恐怖とではなく、現在起きている現実の問題と戦えているのです。

私はこれが「アダルトチルドレンの夜明け」なのかな…と感じています。

更新しなかった1年の間に何があったか、そしてこれから私がどうしていきたいかを書こうと思います。

アスペルガー症候群の母について

初めてお読みいただく方もいらっしゃるかと思うので、まずは母のことを説明させていただきます。(割と長いんで、ダルかったら適当に読み飛ばしてくださいね)

私の母は、未診断ですがアスペルガー症候群の特性があります。

たとえば、人の感情への配慮ができないので、無自覚のまま人を傷つけることを言ってしまいます。こだわりが強く、子供の行動をコントロールします。他人のことに踏み込みます。約束はしたこと自体を忘れます。常に他責的で、一切自分の非は認めません。アスペルガーは脳の特性です。母はその特性ゆえにモラハラすることでしか人と関われない人なのでした。

私は、このようなモラハラを生まれてから結婚するまで、毎日欠かすことなく何時間も受け続けて育ちました。このコミュニケーションスタイルを、「お手本」として真似した時期さえあります。(詳しくは過去記事をお読みいただければと思います。)

結婚後も母とは連絡を取ってました

結婚してからも、母と縁を切ってはいませんでした。それは、「母はアスペルガーで、特性があるからこうなっているだけ、私はちゃんと愛されてたんだ」と考えていたからでした。

「毒親とは縁を切れ!」みたいなことを言っている毒親系youtubeが嫌いで、「私は親を見捨てない!」と心に決めていました。

だから、ことあるごとに実家に行き、母の愚痴を聞き、相談相手になり、母の事業の確定申告をレシートの仕分けから代わりにやってあげるくらいには共依存ズブズブの関係を継続していました。娘として当然のことをしているだけ、私に拒否権なんてないと思っていたのです。

そんな中、重大なターニングポイントとなる出来事が発生します。

救急車で病院に搬送されました

ある夜、自宅のベッドで眠っている時に、突然息苦しさで目が覚めました。もともと不整脈があるので、心拍数を測ると40を下回っていて、「このまま心臓が止まって自分は死ぬんじゃないか」という不安に飲み込まれそうになりました。(まあ実際に脈は2回に1回欠けてた)なんとか夫を起こし、救急車を呼んでもらいました。搬送されている間に症状は落ち着いてきて、病院に着いてからは比較的元どおりの状態に。

当直のお医者さまからは、「ストレスをためないようにね」とだけ言われて、その日のうちに帰宅したのでした。

後日検査も受けましたが、特に異常はなし。

しかしその日を境に、このようなことが度々起きるようになりました。

これが話に聞くパニック発作か

夜中、ガバッと起きて不整脈からの過呼吸。

さすがにこんなことが何度もあると、「ああまたいつものか」と慣れていきました。

実は、過去にも一度だけ、同じようなことがありました。結婚前に実家から夜逃げして一人暮らしをしていた時です。夜中に息苦しさで目が覚めて、過呼吸を起こし、最終的に実家から母を呼び出して助けてもらったのでした…

「なぜこんな症状が?」はじめのうちは訳がわかりませんでしたが、回数を重ねるごとに徐々に発作を起こす時の共通点が見えてきました。

それは、「母に申し訳なさを感じたときに起こる」ということでした。実際に直前に母と会話していたり、LINE上でやりとりがあったり、自分の中で母に申し訳ないと考えることがあったり…。

アホみたいな話ですが、記録をつけたので間違いありません。

それで私はこの発作が、「母への罪悪感が原因のパニック発作」だと結論づけました。

ついに離縁

実母と別れました。というより、「逃げ」ました。

「このまま母と関わり続けたら、パニック発作を繰り返す。夫や仕事で関わる人たちや救急搬送先の病院のスタッフの方に迷惑をかけることになる。」

…そう考えて、私はとりあえず母から全力で逃げることにしました。

以下が私のとった対応です

・会話やLINEの返信は事務的な内容に限定

・実家に行かない

・自分の近況は伝えない(聞かれても答えない)

・母からの贈り物を受け取らない

これを半年間徹底して行いました。もちろん、母はあの手この手で私をなんとか取り戻そうとしました。私がしていることがいかに母を苦しめているかを、私や夫や時には夫側のお母さんを使ってまで伝えようとしてきました。

そんな母の挙動を知るたびに、私のパニック発作は再発しましたが、だんだんと回数が減っていきました。

最後のコンタクトと解離

そしてついに母と最後の別れのような儀式??を行い、連絡を断つことができました。

「やったー母と切れた!」と喜べたと思いますか?

残念ながら、その真逆で、死にたくなりました。(笑)

「母をこんなに悲しませる自分は、冷酷非道な人間で、生きている価値がない」そう考えて、自死一歩手前までいってしまいました。

私の頭の中の母が、私の全人格を絶えず否定してくるような感覚に陥りました。頭の中で、私を激しく責め立てる声が四六時中聞こえてくるのです。

「大丈夫!」

最終コンタクトから1週間。激しい自己否定感と無力感で「もう限界」…と感じ始めた時に、人格否定する声とは全く別人の声が脳内に突然響き渡りました。

「大丈夫!」

その一言で、私を否定してザワザワしていた声がピタッと止まりました。声色からすると、高校生くらいのように感じました。これが私の声かもしれない??

やることなすことすべて否定され、無力化されて、母の要求を叶えるための奴隷として育てられた私。母が望むことだけをして、私が何を望んでもなかったことにされ続けた子供時代でした。

大人になってからはなんとか自分の人生を生きようともがいてきました。自分の育て直しをしてきたとも言えます。

もがく中で、ちゃんと私が育ってたんだ…

「大丈夫!」

私は、死にたいんじゃない「生きたい」んだ。ちゃんと自分で立ち直り前に進む力がある。

そんな気がしました。

そして現実の問題と向き合っていく

その日を境に、「死にたい」ほどの自己否定は起こらなくなりました。

よく言われる「ありのままの自分を受け入れる」とか「自己肯定感を高める」とは少し違うかもしれません。

あの日私を救った私を、信じて、怖いけど、現実の問題と向き合っていきます。

これから

「なりたいけど私なんかなれない」と思っていた職業があります。

母の望む仕事ではなく、私が望んだ職業です。

学校に通って、自分で資料を集めて、たくさん勉強しているのに、私には資格がないと思って名乗れずにいました。

でも、もうこれからは…

言うまでもないですね。

そんなこんなが、この1年の間に起こった出来事です。途中、読みにくいところがあったかもしれないけど、この記事を最後まで読んでくれてありがとう!

私の生き恥が、毒親育ちやアダルトチルドレンの役に立つことを願って、ここに記録します。

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