「根拠が分からないものの拡散に自分は加担しない」という話
▼能登半島地震をめぐって、2024年1月8日「北國新聞」に載っていた、兵庫県立大学教授の木村玲欧氏のSNS論を抜粋する。木村氏は京都大学で情報学の博士号をとり、専門は防災心理学や防災教育学。
▼基本的に「SNSと金儲けと編集者と」で紹介したものと同じだが、
より細かく論じられている。「災害とSNS」について考えるための、現時点での、もっとも簡便な資料だ。適宜改行、太字と【】は引用者。
〈今回の地震で特筆すべきなのは、23年のXの仕様変更に伴い、投稿の表示回数(インプレッション)によって収益が得られるようになったことだ。これにより、愉快犯や他者を攻撃することを目的とした従来のデマに加えて、回数を稼ぐためとみられる虚偽投稿が散見されるようになった。デマを巡る状況は以前よりも悪化している。〉
▼従来のデマは、「愉快犯」「他者攻撃」が主流だったが、これらに加えて、能登半島地震では、「純粋な金儲けのため」の投稿が増えた。そのため、全体的にデマの状況は悪化しているわけだ。
この分析で、筆者が感じた、これまでとの異質感、気持ち悪さの正体が少し見えた気がした。
〈これら投稿は、具体的な表現で人間の感情に訴えかけたり、興味・関心を引くような内容であったりと、善意の第三者が「広めたい」と思えるような仕掛けで巧妙につくられている。「よかれ」と思って拡散した情報がかえって支援の妨げになったり、差別に加担して人を傷つけたりする。〉
▼ここの箇所は、コロナ禍になる前に「日本は優生思想に寛容である件(2)感情ポルノにふける人たち」で少し書いたことと重なる。
▼要するに、SNSは「感情ポルノの道具」に過ぎない。ここを見極めると、いろいろと見やすくなるだろう。
▼さて、具体的な対策である。
〈デマを拡散させないために、「災害時にはデマは必ず発生する」という事実を理解して、「本当か?」「自分が広めるべき情報か?」と一度疑問を持つ。その上で「情報のウラを取る」というチェックが重要である。
発信元が普段どんな投稿をしているのか、行政などの公式ページやマスコミでは報道されているのかを確認する。【根拠が分からないものの拡散に自分は加担しないという判断をする】のである。
被災地では、被災した住民同士、そして消防、警察、自衛隊、医療関係者などのプロ集団が、安否確認・救助などに命懸けで対応している。その活動を妨げることが決してあってはならない。〉
▼情報の裏を取る。情報を発信するなら、「いろは」の「い」である。
▼発信元がふだんどんなことを書いているのか。これを確認するのも基本中の基本。
▼行政やマスコミの発信、つまり、「プロ集団がお金をかけて編集しているもの」をチェックする。これは極めて「コスパ」も「タイパ」もいい情報確認法である。
これらはすべて、【根拠が分からないものの拡散に自分は加担しないという判断をする】ための材料である。
▼あまりにも当たり前のことばかりだ。拍子抜けする人もいるだろう。しかし、その当たり前のことが、行き渡っていない、というか劣化し続けているのが、現在の旧Twitter(ツイッター、現X)だ。
筆者は現在、ツイッターを新刊本のチェックなどに使っているが、それ以外の目的に使う気にならない。時間を浪費したくない、という気持ちが強い。
▼「SNSと金儲けと編集者と」で書いたことを、再掲する。SNSで人生の時間の無駄遣いをしたくない人は、二つの鉄則を忘れないように。
ひとつ、インプットする人は、
「SNSは金儲けの場である」と心得ること。
これは善悪で論じるものではなくて、資本主義の原理に忠実なだけだ、ともいえる。
もうひとつ、アウトプットする人は、
「編集者として振る舞う」こと。この文脈で具体的にいうと、繰り返しになるが、【根拠が分からないものの拡散に自分は加担しない】という判断をし続けることだ。
▼上記の木村氏の指摘は、はからずもこの二つの鉄則の説明書きになっている。現状分析も、ふだんの対策も、拳拳服膺(けんけんふくよう)すべき論理だと思う。皆さんは、どう思いますか?
(2024年1月19日)