ハンセン病の安倍総理謝罪を「同情の論理」で終わらせるな(3)
▼ハンセン病の患者、元患者の家族が国を訴えた裁判について、共同通信編集委員の中川克史氏による解説記事を紹介したい。
筆者が読んだのは2019年7月17日付の琉球新報。
見出しは
〈ハンセン病家族勝訴確定 政府だけの責任ではない〉
▼「砂の器」を見たり原作を読んだりしたことのある人は、あの中に出て来る患者家族の姿が思い浮かぶことと思う。
〈(ハンセン病患者や元患者の)家族らの置かれている環境は想像を絶する。首相が控訴しない方針を明らかにした9日、記者会見した弁護団共同代表の徳田靖之弁護士は、担当する原告の中には顔を見たことのない人がいるという衝撃的な事実を明らかにした。〉
もう一度引用しよう。弁護士が、「担当する原告の中には顔を見たことのない人がいる」というのだ。信じがたいが、事実だ。
〈訴訟の原告となっていることを周囲に隠しているので、弁護士からは電話や手紙で連絡をとれず、相手からの接触を待つだけなのだという。〉
▼筆者はこの記事を読んで絶句した。
2019年の段階で、未だに、それほどまでとは。
自分の考えが甘かった。
日本社会に根付いている優生思想の深度は深い。
〈弁護団メンバーは、原告以外の家族も含む「一律」救済の措置が実現したとしても、現在も続く差別の下、どれだけの被害者が名乗り出るのかは未知数だと明かす。差別や偏見の根強さ、恐ろしさを伝えて余りある。〉
▼もし、今はそれほどでもなくても、かつてそれだけひどい差別を受けていたならば、被害を名乗り出られないのも尤(もっと)もな話だ。名乗り出られない被害者のことを、法的に救う道はあるのだろうか。中川氏は結論を、
〈弁護団が国に示した「全面解決要求書」は、元患者や家族が国の誤った政策の被害者であったことを明らかにするためにも、国の加害責任を明確にした新たな啓発運動を行うよう求めている。啓発の対象である国民もまた、差別や偏見の解消に責任を負っている。〉
とまとめている。
「ハンセン病差別」の問題は、「なかったこと」にしたがる人々の心を変える道を、法的にも、社会的にも、探る必要がある、日本の幾つかの大問題のうちの一つだ。国に損害賠償を命じた熊本地裁の判決は、その道に確かな突破口を開いた。(つづく)
(2019年7月23日)
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