国立大学では共用スペースに課金される件(その2)
▼前号では、「スペースチャージ」という奇妙な仕組みについて紹介した。
「スペースチャージ」とは、〈施設の修繕・維持のため研究室や実験室、講義室などの共用スペースの学内利用者に課金する制度で、9割の国立大学が導入している〉という衝撃の事実。
たとえも秀逸。〈企業に置き換えれば社員に「会社の設備を使うなら場所代を払え」と命じるようなものだ。/ここまで困窮した最大の原因は、国立大学法人の運営費交付金が国から減らされたことだ〉
▼須田桃子記者は以下の記事で、政府や財務省の方針を、科学的、かつ論理的に否定している。適宜改行。
〈一つのプロジェクトや実験室への研究助成が一定規模を上回ると、論文の数や質といった生産性が逆に低くなる傾向があることや、過去の実績に基づく研究費の配分はうまくいかないことを示唆する複数の報告がある。
卓越した研究者を選び多額の資金を与えれば良い結果が出る、という仮説は一見正しそうだが、実は説得力のある根拠はない。
論文数の国別順位や世界シェアなどさまざまな指標が、日本の研究力の衰退を示している。政府は要因に大学の「改革の遅れ」を挙げ、産業界からも改革を求める声が強いが、行き過ぎた「選択と集中」こそ元凶ではないか。〉
これがこの記事の肝(きも)。政府をバッサリ斬っている。
筆者は須田記者の意見に同意する。
日本は「選択と集中」の次元を間違えたのではないか。
▼以下は、現下の日本の政策とは異なる道こそ、本当の「イノベーション」を生むのではないか、というわかりやすい問題提起。
キーワードは「出口」。
〈政府は科学研究に経済成長につながる成果を求めるが、イノベーションが「出口」重視の研究から生まれるとは限らない。
実例を挙げたい。
生命の設計図のゲノムを精度良く書き換えることができ、医療や農畜産業など幅広い分野で応用研究が進むゲノム編集技術「クリスパー・キャス9」は、微生物の免疫システムから生まれた。10年以上に及ぶ地道な研究で先駆的な役割を果たしたスペインのフランシス・モヒカ博士は来日した際、「純粋な好奇心に基づく基礎研究こそが、革新的な技術の源泉になる」と語った。
今の日本で、モヒカ博士のように「出口」の見えない基礎研究にじっくり取り組める研究者がどれだけいるだろう。〉
▼革命的な技術である「クリスパー・キャス9」のきっかけの話は、このご時世、少し調べたら誰でも見つけることができる。
基礎研究というものの成果は、必ずしも人間の理性の範疇でコントロールできるものではない、ということがよくわかる。それは言うまでもなく、ゲノム編集の分野に限らない。
▼もしかしたら政府の担当者や財務省の担当者は、「出口」の見えない研究そのものに、不安を感じているのかもしれない。口から出るのは「そんな研究は生産性がない」という名目だろうが、その名目のすぐ裏側には、「自分の理性を超えるものへの不安」がピッタリと張り付いている。
もしも、人間の未来は、人間のアタマのみでコントロールできる、と思っている人がいるとすれば、その人は無意識の裡(うち)に、厄介な傲慢(ごうまん)に囚われている、と筆者は思う。
▼「幻の科学技術立国」というタイトルもよかった。傲慢は「幻」を生む。肝心なことは、「幻」が消えて、現実のみじめな廃墟が露わになった時にすら、おそろしいことに、傲慢は消えないのだ。
そもそも、今の科学技術政策が無惨に失敗した場合(それは30年ほど経って明らかになる)、政策の責任者の多くは死んでいる。そしてその時の政府や財務省は、最後まで、失敗したのは大学のせいだと言い張るだろう。
「基礎」を手抜いた建物は、倒壊するのが道理である。須田記者の指摘は、細いひとすじの光のように思える。
(2019年6月6日)