石井暁氏の『自衛隊の闇組織』を読む(4)班員の精神に起こる出来事

4)班員の精神に起こる出来事

▼自衛隊の「別班」がどういう動き方をしているのか、その一例が『自衛隊の闇組織』に書いてある。

班員たちは、2~3人ずつのグループに分かれており、それぞれのグループは都内にアジトを構え、そこを根城にしていた。メンバー同士はコードネーム(偽名)で呼び合うから、本名は知らない。別班は完全に縦割りで、班長ら幹部以外は全体像を知らない。一般の班員は、他のグループのメンバー、任務などを全く知らされていなかった。〉(93頁)

▼こうした動きを強いられることによって、〈班員の半数ぐらいは精神的に、あるいは社会的に別班の活動に適応できず壊れてしまった〉という証言が載っている。また〈何もわからずに別班に配属され、仕事の内容にショックを受けて「こんな非合法なことはできない」と言って別班を辞める隊員もいたという。〉(99-100頁)

本書のラストに列挙されている班員OBたちの証言は、読んでいて胸が痛い。「絶対に素の自分は表に出せない。それがストレスで、休日は家族に嘘を言って漫画喫茶に行って、ひとりでぼんやりしている」「心理戦防護課程の教育を受けた結果 1)洗脳される 2)何も感じなくなる 3)壊れる の3タイプの人がいる」「どんな時でも、自然な笑顔をつくれる。人間として寂しい」「別班という組織の全貌を明るみに出して、潰してほしい。そして、国が正式に認めた正しい組織をつくってほしい

▼別班によって人生を狂わされた人々が口にした、これらの絶望や叫びは、非公然組織であるがゆえに生まれた歪みであり、悲惨である。

▼ネット空間では、冷笑や罵倒(ばとう)をちりばめながら、この「別班」をめぐる共同通信の報道そのものを必死で否定しようとする動きが多かった。報道までの経緯をまとめた本書に対しても同様だ。ジャーナリズムの権力監視を嘲弄(ちょうろう)するこうした風潮は、とても攻撃的なようにみえて、その姿勢はとても受動的なものだ。

また、『自衛隊の闇組織』のアマゾンのカスタマーレビューには、〈買うだけむだ〉というタイトルで〈妄想のかたまり/匿名ばかりで読む価値なし/ネットに転がってる与太話〉という書き込みがあるが、この三つの言葉は、すべてこの書き込みそのものに当てはまることに、おそらく書いた本人は気づいていない。

ジャーナリズム論の傑作である『インテリジェンス・ジャーナリズム』は、「21世紀の情報ギャップ」を明快に示している。〈21世紀における本当の情報ギャップといううものは、誰がインターネットにアクセスでき、誰ができないかということではない。それは、知識を作り出す技能を持つ人たちと、単に先入観を確認する過程にとどまっていて、まったく成長したり学んだりしない人たちの間のギャップのことである。それは新たに生まれた理性と迷信の間のギャップである。〉(304頁)

インターネット空間にまき散らされる暴力的な言葉の多くは、「新しい迷信」に囚(とら)われた人々の、口汚い、呪詛(じゅそ)にすらならない、たとえば鍋料理の灰汁(あく)のようなものかもしれない。

▼この『インテリジェンス・ジャーナリズム』には、伝説のジャーナリスト、セイモア・ハーシュ氏が最初の職場であるシティー・ニュース・ビューローで叩き込まれた「確認できないことは記事にするな」という大原則が紹介されている。(148頁)

このことは、一見すると簡単なようだが、実は難しいことだ。自分が証明できることは書いてもいいが、信じているだけでは、それが本当だとは限らないということだ。自分が理解していると思うことでも、エビデンスが示していることが何を示唆するのかについても懐疑的になれということだ。何か本当のことを「知った」という、大部分は確かだというのは充分ではない。疑り深い世間や、当局のあざけりに対して、それを示し、確証し、反論し、検証できなくてはならない。〉(同頁)

『自衛隊の闇組織』は、こうした「検証のジャーナリズム」の名にふさわしい。いろいろなものを炙り出してくれるノンフィクションの名作だ。(おわり)
(2018年12月11日)

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