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「早期療育」って結局何をする?~我が家の場合~

「早期療育」って、かなり曖昧な言葉だと思う。

うちの娘は現在6歳。5歳半で重度知的障害と診断を受けた。

1歳になる前くらいから発達遅れを指摘され、コロナ禍を挟み、
2歳半から療育のほか、一般の幼児教室、リトミックと、
様々な教室の門をたたいた。

これまでの経験で気付いたのは、
「療育」と名の付く施設に通い、「何となく集団療育を受ける」ことが療育なのではない、ということ。

集団療育と個別療育の規模感の違いもあれば、
保育全般、音楽、言語療法などのリハビリ分野など、専門性も様々。

とにかく、「我が子に合うものは、どんなものなのか」を親子二人三脚で見つけていくスタートに立つことが「早期療育」だと我が家では思っている。

健常児のお子さんであれば、「早期療育」を受けて、言葉の遅れを解消できるなどの意味合いになるのだろう。
その子によって「早期療育」の意味合いは違うのだと思う。

以下、あくまでも我が家の経験だが、お話してみようと思う。

1.「早期療育」を始める前(0歳~1歳半)

娘がお腹の中にいるころから、ピアノを好きになってほしくて、
お腹にスマホのスピーカーを当てて(笑)、
清塚信也さんの曲「For Tomorrow」(コウノドリ(2017)のテーマ曲)を良く聴いてもらっていた。ドラマを見て、その翌年の妊娠となったので、感慨深かったな。

そして、娘が無事誕生。生まれた時点では全く問題なし。
良かった。ホッとした。安心した。

自宅では、公文の童謡CDシリーズを流したり、
就寝前には必ずオルゴールアレンジのCDを流したり、
たまにバウンサーを電子ピアノの近くにおいて、私の演奏や弾き歌いを聴いてもらったり。生まれて間もなくからも、音楽に溢れる時間を過ごした。

併せて「こどもちゃれんじ」をスタート。
娘はすぐに、大好きになった。
当時、昼寝をすると夕方の寝起きがとても機嫌が悪くて、
そんな時でも、しまじろうやまやお姉さんのDVDを見ると泣き止んでくれる子だった。教材を使った読み聞かせをしたり。

ちなみにこの頃、Eテレの「いないいないばあっ!」や「おかあさんといっしょ」には大して興味を持たず、私が好きで音楽として流していた。

しかし、
生後半年を過ぎたころ、しまじろうのDVDだけではネタが持たなくなり、
試しに「いないいないばあっ!」のはるちゃん初年度DVDや「おかあさんといっしょ」60周年コンサートのDVDを購入し、
何度も何度も繰り返し流していたら、急に好きになる瞬間が訪れた。
そして何度も繰り返し、同じDVDを見るのを好むようになる。
(…今にして思えば、これは知的障害の表れだったかも。繰り返しを好む。あくまでうちの場合。)

また時を同じくして、
生後半年を過ぎたころ、主治医から、発達遅れを指摘され始める。
(私の高齢出産や、過去職場での抑うつ状態経験などもあり、母親の健康状態を観察するという意味で、出産した大学病院の小児科と繋がることが出来ていた。結果的にはラッキーだったと思う。)

■ひとりすわり(支えなくても座れること)
→一般的には生後6~7か月、うちは生後10か月(3か月遅れ)
■バイバイ、コンニチワなどの身振り
→一般的には1歳、(うちは年中まで出ず)
■ママ、ブーブーなど意味のある言葉
→一般的には1歳半、(うちは3歳頃一度出たけどすぐ消えてそのまま)

もちろん1歳半検診では「言語遅滞」の指摘を受けた。
「既に小児科で発達遅れの相談をしている」と伝えたら「では引き続き病院と相談しながら進めてください」とあっさり終了。

「発達には個人差がある」という言葉もあるしと私の自覚は低かった。
年齢相応に出来ることもあるしと、あまり心配しては居なかった。
でも、出来る限りのことをしようと思い、次のタームを過ごすことになる。

2.「早期療育」を始める前(1歳半~2歳半)

これまでの取り組みに加え、新たに、以下の事を始めてみた。

①3歳までに絵本&童謡を1万回!!

皆様も良くご存じであろう佐藤ママが書かれた本。
「3歳までに絶対やるべき幼児教育: 頭のいい子に育てる(佐藤 亮子 (著))」

3歳までに絵本&童謡を1万回聴かせるためには、
毎日10冊&10曲ずつがタスク!とのこと。夫も巻き込み、愚直に実践した。
童謡は、こどもちゃれんじのボタンを押して鳴らす教材を使って一緒に歌ったり、私のアカペラや弾き歌い、公文の童謡CDを流して一緒に歌ったりなど。
絵本は、私や夫の記憶にあった「11匹のねことアホウドリ」「おおきなかぶ」をはじめ、きんたろう、ももたろう、うらしまたろうなど。
童謡にはテーマソングがあるものも多いので、そこも喜んで聞いてくれていた。

…うちは、重度知的障害と診断されたので、「頭のいい子」路線とは違う人生だが、この「毎日10冊&10曲ずつがタスク!」が、娘の「音楽大好き!」「曲に乗せて感情表現するのが大好き!」に繋がったのだと思う。
娘にとって、大きな強みになっている(また後程)。

➁「モンテッソーリ教育」の本で、我が娘の「発達遅れ」を自覚

こちらも、ご存じの方が多いはず。モンテッソーリ教育。
「おしごと」と称して、手指を使った訓練など、年齢に合った取り組みを進めていくもの。

特に良かった教えは、「1歳は『歩きたいから歩く』」。
歩くこと自体がメインイベントで目的地に向かうための手段なのではなく、ただ歩くことが楽しいから歩くのだ、と。
娘は1歳半ごろから、ベビーカーを殆ど使いませんでした。発熱時の通院で使うくらいで。
その後、集団療育に通い出してから、娘が歩くことが得意であることをすごく褒めて頂きました。片道30分を毎日徒歩で通園。そもそも、歩けない子も多いのだと。

転機は1歳半ごろ。
本の教えに沿って進めていく中で、1歳半頃の「おしごと」以上には進めなくなった。
「この棚にお片付けしてね」と言っても全く通じない。毎日一緒にやっているけれど進展がない。2歳を過ぎても。相変わらず発語も無い。
これが、はじめて「発達遅れ」を実感したとき。

そしてこの頃に、世はコロナ禍に突入。
発達への焦燥感ありつつも、何より命が大事だし、家で出来ることをやるしかないと思い過ごした1年間。
家族には「母親の接し方が悪いからだ」と言われたり、しんどかった頃。

「言葉のシャワー」は沢山浴びせてきたつもり。「いつか話すだろう」と思ってた。でも、このままじゃマズい。コロナ禍にビビってる場合ではない。
そして、ついに「早期療育」の門を叩くことになる。

3.「早期療育」(2歳半~3歳半)

まず、通った場所を列挙。それぞれ週1回あった。
①一般の幼児教室(0歳からの知育、8人くらいの小集団)
➁療育系幼児教室(言葉の遅れが気になる方へ、的なところ。自費療育。)
③集団リトミック(8人くらいの小集団)
④個人リトミック(個人でマンツーマン)

世の中的に「早期療育」と呼ばれるものは、上記の➁だけなのだろう。
しかし、娘の特性や好み、発達状況を知る上では、①③④のいずれも大切な経験になった。

ちなみに私は、娘が2歳半の時に、約20年勤めた会社を退職。
ここで、娘の発達に全振りしておかないと、後々後悔すると思ったから。
だから、上記の各教室へ通わせることも出来た。

では、この「早期療育」の1年間で、各教室で経験したことを話してみたい。

①一般の幼児教室(集団)

ここでは、発達順調な子が多い中で、発達ゆっくりな子もいた。
でも、共に過ごした1年間で徐々に言葉を話せるようになっていく。
発語が無いのは娘だけ。
そんな中、最初は無邪気に友達と追いかけっこをしたりしていた娘が、徐々に心を閉ざしていく様子を目の当たりにした。お友達に近寄れなくなった。

また保護者の中にはあからさまに「あの子に近づくな」と言葉に出す人に出会ったこともある。
世の中「インクルーシブ教育」などというけれど、もし、娘に発語が無いままなのであれば、迷わず年少からは療育一本に絞ろうと決意することが出来た経験。

また、娘が心を閉ざしてしまったことについては、親として痛恨の出来事。
娘のペースで、発達を見守っていける環境を選んでいかなければと思った。

なお通い続けられたのは、レッスンの中では、机上の座学だけでなく、音楽の項目もあったからだと思う。音楽が流れると、誰よりも活き活きと踊る娘。周りの親御さんも褒めてくださる。自信を持てる経験になったのではないかと娘を見ていても思う。

➁療育系幼児教室(個人)

ここで、はじめての「母子分離」を経験することができた。
(レッスン中は、別室からモニターで様子を観察できる)

また「ペアレントトレーニング」を受けたのもはじめてで、
夫婦で受けたが非常に良かった。
特に良かったのは「いま既に出来ている部分をほめる」という視点。

凄いことが出来た、新たなことが出来た、だけではなく、
「いま既に出来ている部分をほめる」というのは、娘の自己肯定感を育んでいくうえでも、親としての大切な心掛けだと思った。(私自身が虐待毒親育ちなので、尚更。)

(この療育系幼児教室は、6歳になった現在も通っている。
重度知的障害と診断されたからこそ、一歩一歩、ひとつでも出来ることを増やしていく上で、どんな取り組みをしていくか、教室と相談し連携しながら進めてられている。)

③集団リトミック

ここでも、「①一般の幼児教室」と近い経験をした。
言葉を話せている子が、娘に向けた「何この珍獣」みたいなあからさまな目線は忘れられない。そして娘もそれを感じ取っている。
それでも、通い続けられたのは、本題であるリトミック自体はものすごく楽しんでいたから。家でも同じ音楽をDVDで視たり、私が歌ったり。今もたまに見返したりもするくらい、娘の心に残った音楽の一つ。
人と交わる中で、自分の好きや得意を改めて認識できるのだろうな、とも思った。娘の様子を見てそんな風に感じた。
(そして、年少の6月まで続けたけれど、そこで断念。もうついていけないなと実感したため。)

④個人リトミック

幸運にも、良い先生に巡り会えた。このご縁に感謝。
とまず言いたくなるくらいの場所。

とにかく娘のペース、娘の気分に合わせて、アドリブ的にその日の内容を組み立ててくださることが非常に有難い。

また、中長期的な目で見て、理解できることを増やしていこう、とも思ってくださっている。決して諦めて、好きなようにさせている訳ではない。

その先生の姿勢や、取り組み方は、私自身も大いに学ぶものがある。
家でも、先生のやり方を完全にマネをして、おうちリトミックをしている。
(6歳になった今も通っている。特別支援学校への就学後も続けていく。)
(私自身、娘が2歳半~4歳に掛けての頃、カワイ音楽教室のリトミック講師資格を取得した。娘とのおうちリトミックに大いに役立った。)

以上4つが、娘が受けた「早期療育」。

そして幼稚園に行くか否かを決める時期。
発語無し、オムツのままの娘。
健常児の集団に混ざると、心を閉ざしがちな娘を見てきた経験からも、
迷わず、週5日で療育施設に通うことを決断する。

3.本格的な「療育」へ(3歳半~現在)

現在も続けていることは以下の4つ。
①集団療育(週5日、小集団)
➁専門療育(月1回。言語療法、作業療法それぞれ)
③療育系幼児教室(個人) ※前述と同じ場所
④個人リトミック ※前述と同じ場所
⑤訪問看護による言語療法、作業療法 ※今年の9月から開始

「①集団療育」は、小規模な保育園というイメージ。先生やお友達と触れ合う中で、社会性を身に付けつつ、互いに刺激を受け合う場。
1年経ち、年少のうちに言葉が出て幼稚園に移行する子とそうでない子にくっきり分かれた。娘は、一生言葉を話せないかもしれない。
それでも出来ることを、娘のペースで一つ一つ増やしていきたい。

そんな葛藤を抱えつつ前に進めたのは、個別専門療育での言語療法と作業療法のおかげだった。
月1回とはいえ、言語聴覚士、作業療法士からのレッスンを受けられることは非常に価値が高かった。娘の性格や特性を踏まえて、日々の暮らしの中で、どんなアプローチをすればよいかアドバイスを頂けることに救われた。

言語聴覚士と作業療法士の専門性はすごい。
私は娘の「療育」を受けるまで、正直全く知らなかった。

言葉を話すために必要なこと、
言葉が話せないなら代替手段をどうするか、
手足の動きは神経に密接に繋がっていて発語を促すことにもつながる、等々。個別専門療育で個人的スキルを高め(親も)、集団療育は実践の場。

また、就学後を見据えて、訪問看護による言語療法と作業療法を開始した。
主治医から「この子はまだ諦めるのは勿体ない。出来ることはやってみたらいい」と言って頂き、受けることとなった。非常に有難いこと。

娘は、4歳ではじめて「バイバイ」の手振りが定着し、
4歳半ではじめて自分の意志で「声」を出せるようになり、
5歳半ではじめて「指差し」が出来るようになった。
そして、喜怒哀楽の感情表現が非常に豊か。(重度知的障害では珍しいケースだ、と言われることが多い。うちの場合。)

一般的な時期の3~4年遅れくらいだが、着実に成長している。

重度知的障害でも、時間を掛ければ、出来ることも少しずつ増える。
また、好きなことにも出会えていく。
この子なりの幸せがあり、親としても沢山の幸せをもらえている。
一歩一歩、進んで行きたい。

4.さいごに

厚生労働省の関連ホームページ「e-ヘルスネット」の「知的障害(精神遅滞)」のページの中に、こんなことが書いてある。

ほとんどの知的障害において、基礎にある障害そのものを改善させることは難しい状況です。しかし恵まれた環境下においては適応機能などが向上する可能性は十分あります。早期に発見され適切な療育が施された場合、長期的予後は改善するとされています。本人のみならず家族への支援も欠かせないと考えられます。

知的障害(精神遅滞) | e-ヘルスネット(厚生労働省)

「早期療育」という言葉。

我が家にとっては、娘の障害を親として受容し、
重度知的障害であっても、幸せに暮らしていける道を作っていくために、
多くの専門家たちに出会い、発達に関する学びと共に、娘との人生の捉え方を考える期間になった。

決して「"普通"に追いつく」「"普通"に近づける」ではなく。
(↑二次障害を起こしがちな考え方ですよね。)
娘のペースと、娘らしさを大切に、これからも歩んでいきたいです。

次回のnoteでは、ここ最近一番参考にしている本の書籍紹介が出来ればと思います。

大変長くなりました。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!