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コミュニケーションって難しい

特性のある子どもを育てていると、逃げることが出来ないのが「交渉」と「相談」
特に、学校との交渉や相談ってとても大変で
毎回泣きそうになるくらい緊張して
毎回泣きそうになるくらい反省してしまう

学校という場は独特で、慣習と前例で凝り固まっているようにも見える
でも、先生と話をすると、子どもの事を親身に考えてくれるようにも見える
でも、いざ子どもがその集団で求められている行動ができないと、急に冷たくなる…ようにも見える
困っていると言われれば申し訳ない気持ちにもなるけれど、そもそもその行動ってどうしてもできないといけないことなのかしら?
なんて、聞いたら失礼かしら 常識はずれな保護者だって思われないかしら

なんて思っていたこともありました

ありました、そう、すべて過去形になってしまいました
いまですか?全部聞きます
本音で、しっかりと、聞きます、先生からの話を
そして、話します、子どもの現状と親から見た姿を

だって、聞かないと分からないし、言わないと分かってもらえないし
でも、それってとても簡単なようでとても難しくて
なぜって、立場が違うから
なぜって、見ている姿が違うから
なぜって、持っている責任が違うから

この「違い」って、優れている劣っているじゃないと思うんです

違うということは、単に違うだけで
夫と私が、性別が違い、職業が違い、考え方が違い、生活習慣が違う
ということと、一緒で
それによって何が起こるかというと
1人ではできないことが出来るようになる んですよね
敵対することでも、どちらが優れいてるかと争うことでもない
チームでいろんなことが出来るようになるための、違い

当たり前ですが、
学校の先生と
親とでは
同じ子どもを「見て」も見える姿が違います
でもそれは両方ともその子の真実の姿で
単に見る方向が観点が違うだけなんですよね

子どもを向かい合わせにして
あちらとこちらで睨み合うのではなく

同じ方向を向いて
それぞれの視点から
一緒により良い子どもの成長を見守る仲間になれたら良いな

そう思いながらまた学校での話し合いに行ってきます

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